コラム

2023.03.16

法疫学講座第06回≪原因確率について教えてください?≫ 

弁護士 崔  信義(さいのぶよし/崔信義法律事務所)Ph.D.

□博士(法学)

□放射線取扱主任者(第1種免状,第2種免状)

□毒物劇物取扱責任者(一般)

□火薬類取扱保安責任者(甲種免状)

□エックス線作業主任者免許

□ガンマ線透過写真撮影作業主任者免許

□一般財団法人 日本国際飢餓対策機構(理事)

□社会福祉法人 キングスガーデン三重(評議員)


法疫学講座(第6回)≪原因確率について教えてください?≫

本講座第5回に引き続き,平成15年10月21日東京地裁判決について説明します。

13 ≪平成15年10月21日東京地裁判決の疫学的因果関係(その3)≫

⑴ 判旨

がんは,喫煙のほか,遺伝,食生活,加齢等,様々な要因によって発症する非特異疾患であり,肺がんは大気汚染,喫煙,加齢,食生活,職業曝露,呼吸器疾患の既往症,遺伝等が原因であると言われ,喉頭がんは喫煙,飲酒,口腔衛生,食物の誤嚥,胃食道酸逆流症,音声の酷使,職業曝露,ウィルス,加齢,遺伝,男性ホルモン等が原因と言われている。また,肺気腫は,喫煙のほか,加齢,大気汚染,酵素の欠損,慢性気管支炎,人種,性,肺疾患の既往症等の様々な要因によって発症する非特異疾患である。」「本件では,疫学上のデータとして,喫煙者が非喫煙者に比べ,当該疾病に罹患する確率が相当程度高まっているとしても,その結果を,他要因の存否や,その寄与の割合等の検討なくして個別的な因果関係に結びつけることはできない。」(判決:「7 疫学的因果関係について」)

⑵ 「非特異性疾患と特異性疾患」及び原告に対する過度の証明責任の負担

被告は,「原因と結果が明確に対応するいわゆる特異性疾患と違い,がん,肺気腫などのような発生原因及び機序が複雑多岐である非特異性疾患は,疫学によってある1つの要因が原因として疑われたとしても,他の要因との関係や,各要因の寄与の程度は明らかにされておらず,また,対象のそれぞれが異なる環境のもとに,各種の要因にそれぞれ曝露されているのであるから,個別的な因果関係を判断するのは不可能である。」(判決:「9 争点(6)(損害と因果関係)についての当事者の主張」の「(被告日本たばこらの主張)の(1))と主張し,判決も上記下線部分のように,がんと肺気腫が非特異性疾患であるとする。

しかしこの点については坪野先生の[健康政策学講義資料]211ページから次のような指摘が正しいと思います。

「『特異性疾患』と『非特異性疾患』という区別そもそものに,じつは問題がある。例えば,『肺結核』は,『結核菌の感染』がなければ生じ得ないので,被告らのいう「原因と結果が明確に対応するいわゆる特異性疾患」の一つとみなされる。しかしこの場合でも,『結核菌の感染』は,『必要条件』であっても,『十分条件』ではない。なぜなら,『結核菌の感染』者の全員が『肺結核』を発症するわけではなく,感染にもかかわらず発症しない者(保菌者)が存在するからである。HIV(ヒト免疫不全ウィルス)の感染者も,全員AIDSを発症するわけではないのも同じである。つまり,『肺結核』の場合であっても,『結核菌の感染』は,それだけで必ず発症するような『十分原因』ではない。あくまでも,『構成原因』の一つに過ぎない。むろん,『肺結核』に対する『結核菌の感染』は,複数存在する『十分原因』のすべてに,構成原因として含まれる(図のAに相当する)。

https://hoshasendokufire.jp/wp-content/uploads/2023/03/[ゴルディス]p222[ロスマン]p43-1.pdf

『肺がん』に対する『たばこ』は,複数存在する『十分原因』のすべてに,構成原因として含まれるわけではない(図のCなどに相当する)。この点で,『肺結核』と『肺がん』が異なるのは事実である。とはいえ,『肺結核』に対する『結核菌の感染』も,『肺がん』に対する『たばこ』も,それだけで『十分原因』となるわけではないという点は共通している。どちらも,『十分原因』の構成原因として含まれる「構成原因」のひとつに過ぎない。結局,すべての疾患が,一つ以上の『十分原因』と複数の『構成原因』を持つ『多因子疾患』であり,『単因子疾患』ではない。ところで,被告らは,肺がんは,『原因と結果が明確に対応するいわゆる特異性疾患』ではなく,『発生原因・・が・・多岐である非特異性疾患』なので,喫煙以外の原因の寄与を考慮しなければならないと主張している。ここでいう『特異性疾患』と『非特異性疾患』の区別は,上にいう『単因子疾患』と『多因子疾患』の区別に,基本的に対応していると考えられる。であれば,すべての疾患は『単因子疾患』ではなく,『多因子疾患』である以上,すべての疾患は『特異性疾患』ではなく『非特異性疾患』と考えるべきである。というよりも,『特異性疾患』と『非特異性疾患』という区別そのものが,疾病の因果論に対する理解を欠いた(恣意的な)分類法であり,不適切である。この(恣意的な)分類に基づいて,『たばこ』以外の様々な要因を(科学的な検証の度合いにかかわらず)肺がんの危険因子として列挙し,その一つ一つについての存否の証明を原告に求めるのは,証明責任の水準を不必要な程度まで高める措置として,批判の余地がある。」

判決は,「肺がんは大気汚染,喫煙,加齢,食生活,職業曝露,呼吸器疾患の既往症,遺伝等が原因であると言われ,喉頭がんは喫煙,飲酒,口腔衛生,食物の誤嚥,胃食道酸逆流症,音声の酷使,職業曝露,ウィルス,加齢,遺伝,男性ホルモン等が原因と言われている。」そして「その結果を,他要因の存否や,その寄与の割合等の検討なくして個別的な因果関係に結びつけることはできない。」という。

この判決の論理によれば,個別的な因果関係を立証する立証責任を有する原告としては,喫煙以外の上記要因すなわち,「大気汚染,加齢,食生活,職業曝露,呼吸器疾患の既往症,遺伝等」,「飲酒,口腔衛生,食物の誤嚥,胃食道酸逆流症,音声の酷使,職業曝露,ウィルス,加齢,遺伝,男性ホルモン等」のすべてについて肺がんや喉頭がんの原因として関与していないことの立証をしなければならないということを意味します。

判決がこのような考え方をするのは,がんが複数の原因構成要素からなる十分原因によって発症するという因果メカニズムを理解していないからに他なりません。喫煙も他の要因も原因構成要素の一つであるから,喫煙と他の要因との交互作用で十分原因となってがんを発生させることがあるのです。その場合,喫煙以外の要因があったとしても,喫煙が原因構成要素を構成する以上は,喫煙と肺がんとの間の関連性は否定されません(第5回「因果のパイモデル」参照)。

14 ≪平成15年10月21日東京地裁判決の疫学的因果関係(その4)≫

⑴ 判旨

(a)「統計によれば,原告らの疾病が非特異疾患であり,日本の男性の喫煙率は欧米諸国と比べて高いが,日本の肺がん死亡率は欧米に比べて著しく低いし,フランス人男性の喫煙率は,日本人男性より約20パーセント低いにもかかわらず,フランス人男性の喉頭がん死亡率は日本人男性の約10倍となっているなど,喫煙以外の要因を示唆する結果が見られる。」

「本件は,(b)上記のような非特異疾患であるにもかかわらず,他の要因の不存在に関する検討は全くなされていないこと,(c)喫煙率と肺がん死亡率の比が必ずしも一致していないことなど,(d)原告らの疾病について,喫煙以外の要因の影響が強く考えられることからすれば,(e)喫煙によって原告らの疾病の罹患率が相当程度高まることが疫学によって証明されているとしても,そのことから,個別の原告らに対する因果関係を推認することはできず,原告らの疾病はたばこによるものと認めることはできない。」(判決:「7 疫学的因果関係について」)

⑵ (b)について

13の⑵の指摘が妥当します。

⑶ (c)について

「喫煙率と肺がん死亡率の比が必ずしも一致していない」との指摘は被告の主張をそのまま受け入れたものである。ところでたばこと肺がんとの関連性については,たばこ1日当たりの喫煙量によって肺がんを発症するリスクが異なることは一般に知られている。しかし,被告の主張においては,一日あたりの喫煙量ごとのリスクに関して言及されている記載は無いように思われる。日本の男性の喫煙率が高くても,男性一人当たりの喫煙量が,欧米やフランス男性と小さければ,日本人男性の死亡率が低いこともあり得る。(a)のような結論は喫煙量ごとの比較を経ていない場合には無意味である。

⑷ (d)について

これも(c)の結論を前提としたものであるから,疑問がある。

⑸ (e)について

次回第7回において説明します。

以上