コラム

2023.03.24

法疫学講座第10回≪H17.6.22東京高裁の原因確率論について≫

弁護士 崔 信義(さいのぶよし/崔信義法律事務所)Ph.D.

□博士(法学)       

放射線取扱主任者(第1種免状,第2種免状)

□毒物劇物取扱責任者(一般)

□火薬類取扱保安責任者(甲種免状)

□エックス線作業主任者免許

□ガンマ線透過写真撮影作業主任者免許

□一般財団法人 日本国際飢餓対策機構(理事)

□社会福祉法人 キングスガーデン三重(評議員)


法疫学講座第10回≪H17.6.22東京高裁の原因確率論について≫

19 ≪控訴人の主張は?≫

⑴ ≪高裁判決の検討の前に控訴人の主張について見てみましょう。≫

平成15年10月21日東京地裁判決(「地裁判決」)の控訴審判決である平成17年6月22日東京高等裁判所(「高裁判決」)について説明しますが,判決は控訴人(原告)の主張に対して判断するものなので,まず控訴審での控訴人の主張を高裁判決から引用して紹介し,次回法疫学講座(第11回)において高裁判決の判断内容を検討したいと思います。

⑵ ≪控訴審での控訴人(原告)の主張は?≫

① 控訴人の主張(その1)

ア.控訴人の主張

「原判決は,控訴人らが他の要因の存否を確認した上で,これを考慮して原因確率(病因割合又は寄与危険度割合)を用いて,たばこがたばこ病の原因であるがい然性が非常に高いことを証明したのに,これを何の根拠もなく無視したもので不当である。」

イ.高裁判決の「第2 事案の概要等」によると,「たばこを喫煙したことによって肺がんに罹患したことは,93ないし96パーセントのがい然性をもって明らかである。」とか「肺気腫に罹患したことは,97パーセントのがい然性をもって明らかである。」ということです。病因割合(曝露群寄与危険度割合)がこのように非常に高度だということですから,控訴人の下線部分の主張は,総論としては正しいと言わざるを得ません。

② 控訴人の主張(その2)

ア.控訴人の主張

「特に,原判決は,疫学による寄与危険度割合は,(a)ある要因の曝露群と非曝露群における罹患者数を他要因を交えずに比較したものであり,ある要因と他の要因の寄与危険度の和が100%以上となることもあり得るのであって,その数値を当該疾病の原因となった確率としてそのまま用いることはできない旨判示しているが,(b)複数の要因の原因確率を足し合わせたときに100%以上になり得ること(複数の要因が関与するときは,それぞれの要因の交互作用が生ずる。)は世界中の保健医療公的機関や医学界・医学者が知っており,それにもかかわらず原因確率を用いて推定して判断しているものであり,原因確率を理解しない原判決の考え方は,世界の医学に対する挑戦ともいえるものである。」

イ.下線(a)について

控訴人は,原判決の「疫学による寄与危険度割合は,ある要因の曝露群と非曝露群における罹患者数を他要因を交えずに比較したものであり」という判示部分を批判しているのですが,私もこの判示部分については理解が不能です。「他要因を交えずに比較したもの」という意味は,「ある要因」についての交絡要因をすべて排除した上で,「ある要因」と「他の要因」とを比較しているという意味なのでしょうか?「法疫学講座(第5回)」でも説明しましたが,喫煙については他の要因との交互作用が通常想定されており,交互作用が存在するという前提で寄与危険度割合を算出しているはずです。なので下線部分の意味がよくわかりません。

ウ.下線(b)について

下線部分は,高裁判決が控訴人の主張を引用したものなので,実際に控訴人が控訴審においてどのような主張をしたのか詳細は分かりませんが,文理的に解釈すると,控訴人は「100%以上になり得ること(複数の要因が関与するときは,それぞれの要因の交互作用が生ずる。)」があっても,「原因確率を用いて推定して判断している」と主張しているということになります。しかし,そもそも確率の合計が100%以上となるということ自体がおかしいのですが,さらに100%以上となる「にもかかわらず原因確率を用いて推定して判断している」というのも理解不能です。

エ.おそらく控訴人の言いたいことは,次のようなことでしょう。「『さまざまな原因構成要素により生じる疾患割合(寄与危険割合を意味すると思われます.)の合計には上限がない。』([ロスマン]p47)から,「複数の要因の原因確率を足し合わせたときに100%以上になり得ること」があるのは間違いありません。

しかし,複数存在する全体の「十分原因」に占める割合が原因確率(寄与危険割合)であり,その複数存在する「十分原因」の占める割合(寄与)の合計は100%%になるから,ある「十分原因」が全体に占める割合が大きい場合には,原因確率(寄与危険割合)も大きくなり,かつその占める割合が大きい「十分原因」を構成する「原因構成要素」を原告が有する場合には,その原告の疾病はその「十分原因」によって発生したと推定できるという意味で,「原因確率を用いて推定して判断」することができると表現したのだと思われます。

オ.高裁判決では,複数存在する「十分原因」が占める割合(寄与)の合計は100%%になるという説明がないために理解が難しくなっているのです。「法疫学講座(第5回)」においての説明したように,「十分原因」と「原因構成要素」の区別ができておらず,何を合計したのが100%にならなければならないのかについて認識を欠いていることから判決文の理解が難しくなっているのです。因果のパイモデルにおいて説明しましたが,複数存在する「十分原因」に占める割合が原因確率(寄与危険割合)なのですから,それを明確にしなければならなかったと思います。高裁判決は「十分原因」と「原因構成要素」の区別という認識がないまま判決文を書いたのではないかという疑問も生じます。以上の点については【法疫学講座(第5回)】で復習してください。

③ 控訴人の主張(その3)

ア.控訴人の主張

「そもそも,原判決の個々の被害者に関する個別的な因果関係が『あれなければこれなし』という関係で高度のがい然性をもって証明されなければならず,当該原因によって疾病にかかりやすくなったというだけでは因果関係が認められないとの判断は,集団的因果関係と個別的因果関係のしゅん別という疫学の初歩的理解を誤ったものである。ある疾病の原因が何であるかを疫学的に研究する場合,〈1〉関連性の普遍性,〈2〉関連の強固性,〈3〉用量・反応関係,〈4〉関連の特異性,〈5〉関連の時間的順序,〈6〉関連の整合性,〈7〉生物学的説得性,〈8〉実験的根拠が充足されれば,ある事象X(例えば喫煙)が他の事象Y(例えば肺がん)の原因であると認められところ,本件訴訟で取り調べた証拠を検討すると,控訴人らは喫煙と肺がん,喉頭がん,肺気腫との間の関係が上記のすべての条件を充たしていることの立証に成功しており,本件における因果関係は控訴人らについて十分に立証されているものである。」(「高裁判決」第2の2の⑸から引用)。

イ.上記①で述べたように,肺がんや肺気腫におけるたばこの原因確率が非常に高いことは控訴人主張のように今では常識であり,判決で示されているような極端に高度な数値の原因確率の場合であれば,ほとんどそれだけで個別の因果関係有りとするのが正しいのではないかと思われます。その上,上記〈1〉~〈8〉の分析がなされているのであれば,立証としても十分であると思うのですが,高裁判決は否定しているのは不自然というしかありません。

次回は,高裁判決について検討します。

以上