コラム

2023.03.28

医事法講座第02回≪医療過誤における過失⑴【総論】≫

弁護士 崔 信義(さいのぶよし/崔信義法律事務所)Ph.D.

□博士(法学)

□放射線取扱主任者(第1種免状,第2種免状)

□毒物劇物取扱責任者(一般)

□火薬類取扱保安責任者(甲種免状)

□エックス線作業主任者免許

□ガンマ線透過写真撮影作業主任者免許

□一般財団法人 日本国際飢餓対策機構(理事)

□社会福祉法人 キングスガーデン三重(評議員)


医事法講座第2回≪医療過誤における過失⑴【総論】≫

1 ≪医療過誤とは≫

本稿において、「医療過誤訴訟」というとき、医師及び医療従事者の過失によって医療事故が生じ、医師、医療従事者、又は病院等の医療施設(医療側)と患者及びその遺族等(患者側)の間で民事裁判等の法的手続きにおいて争われている民事紛争を指している。

そして医療過誤(診療過誤)というときは、医療過誤訴訟に加えて訴訟になる以前の民事裁判となる可能性を有する事件を含む趣旨である(注)。また、医療事故(診療事故)というときは、医師、医療従事者、又は病院等の医療施設の過失等に由来していない場合をも含めて、医療経過中において悪い結果が生じた場合を指す。以上の定義からすると、医療過誤とは、医療従事者らの過失によって生じた「医療事故(診療事故)」ということになる。

(注)松倉豊治『医事紛争』3頁),莇・中井『医療過誤法』18頁,

本稿では、「医療事故」(診療事故)、「医療過誤」(診療過誤)、「医療過誤訴訟」、「医療過誤裁判」を上記のような意味で使用することにする。

2 ≪医療過誤訴訟における債務不履行構成と不法行為構成≫

医療過誤訴訟における法的構成に関しては、債務不履行構成による損害賠償請求権(民法415条)と不法行為構成による損害賠償請求権(民法709条)とは、請求権競合の関係にあるとするのが判例通説であり(注1)、医療過誤訴訟における損害賠償請求訴訟においても同様に解されている。

医療過誤において、不法行為における加害者の過失と債務不履行における債務者の帰責事由とは、ほぼ同じ事象を表現するものであるといってよい。債務不履行の際に要求される契約当事者間での注意義務と、不法行為責任の際に要求される一般的注意義務とに観念的な差異があることは否定できないが、およそ医師と患者という特別な関係に入った者の間で要求される実体的な注意義務の内容に基本的差異があるとは思えない。委任契約上の「善管注意義務」も、不法行為における過失の前提となる注意義務のいずれもが、当該状況下におかれた専門家としての「客観的注意義務」から出発するからである(注2)。

(注1)並木茂「医療過誤訴訟における債務不履行構成と不法行為構成」裁判実務大系17・5頁以下。

(注2)河上「診療契約と医療事故」363頁

3 ≪医療過誤訴訟における立証責任≫

そして、不法行為の場合には、「故意・過失」の立証責任が原則として被害者側にあるのに対して、債務不履行の場合には「帰責事由の不存在」の立証責任が債務者側にあると解されているところから、債務不履行構成の方が患者にとって有利ではないかとして、二つの構成の差異を立証責任に求める説もあった。

しかし、医師の治療過程には常に生体機能の複雑性からくる支配不可能要因が存在し、極端な場合、「不治の病」にかかった患者との関係では、医師の診療行為には「病期の治癒」という結果の達成への可能性が最初から閉ざされており、病状の進行や悪化を防いだり遅らせたりするための最善の努力を尽くすという以上のことはできないという特質を有しているのであり、病状の改善という「結果を指向」しているものの「達成保証」まではなされておらず、一般に診療債務は「結果保証を伴わない専門的労務提供契約」とされ、契約類型としては、治療を中心とした事務処理を目的とする「準委任契約」の一種であり医療機関の債務は「手段債務」として性格づけられるのが通常であるとされている(注1)。したがって、医師としては診療行為に関して要求される注意義務を尽くしていれば、それにより悪い結果が生じたとしても、その結果は、もともと債務外のこととして不履行があったことにはならない(注2)。

手段債務においては、いかなる点において債務者に不履行があるのかを具体的に主張・立証しなければならず、医療機関が当該状況のもとで何をなすべきであったのかを明らかにした上でその行為義務違反を問うことは、結局、不法行為における過失の主張・立証作業と大差がなくなるのである(注3)(注4)。

(注1)河上「診療契約と医療事故」359頁

(注2)中川・兼子・実務法律大系5・84頁

(注3)河上「診療契約と医療事故」364頁

(注4)中野貞一郎「診療債務の不完全履行と証明責任」現代損害賠償法講座4・72頁

4 ≪過失認定の一般的基準≫

以上からも、医療過誤における過失として、債務不履行の場合の帰責事由と不法行為の場合の過失とを区別する実益はないものと解されている。そして、医療過誤における「過失」に関しては、「不法行為責任上も契約責任上も一般に抽象的過失、すなわち行為者(債務者)の社会的立場から一般的に要求される注意義務を欠くこと」とする立場が一般だと考えて良い(注1)。過失を帰責事由という観点から論じる過失責任主義からすると、行為者個々人の主観的注意義務を基準とする具体的過失が注意義務の基準とされるべきであろうが、実際には通説は、被害者保護の観点から、一般的抽象的過失が基準とされると解している(注2)。本来、主観的な過失として具体的過失を要求すべきところを、ある程度客観化して抽象的過失で足りるとすることは、被害者との関係において過失に一定の法的な評価を加えたものと理解されている。

(注1)中川・兼子・実務法律大系5・84頁

(注2)加藤『不法行為』70頁

5 ≪過失の抽象化客観化≫

このような過失の抽象化又は客観化は、医師を始めとする医療従事者の行為においては特に重要であり、その過失の抽象化客観化をとおして、医師及び医療従事者の注意義務の基準を客観的に設定し、同基準が医師及び医療従事者に対する行為義務類型又は行為義務内容としての機能を有することになり(注1)、いわゆる医師及び医療従事者に向けられた規範としての意味を有するに至るからである(注2)。この点は、本稿の医療水準論、及び本稿全体のテーマであるから以後詳しく論じるところであり、ここで指摘したいのは、医師及び医療従事者の注意義務の基準の規範化を可能にしたのが過失の抽象化及び客観化にあるということである(注3)。

(注1)金川琢雄・判評444号39頁(判時1549号189頁)は、「医療水準が、医

(注2)日赤高山病院事件上告審判決(昭和57年3月30日最三判)

姫路日赤事件上告審判決(平成7年6月9日最二判)

医薬品添付文書事件上告審判決(平成8年1月23日最三判)

(注3)橋本英史「医療過誤訴訟における因果関係の問題」新裁判実務大系1・185頁

6 ≪医療従事者の過失に関する最高裁の考え方≫

ところで、医療従事者の過失に関する最高裁の考え方を示すものとして、しばしば、いわゆる輸血梅毒感染事件上告審判決(昭和36年2月16日最一判)が引用される。同判決は、「いやしくも人の生命及び健康を管理すべき業務(医業)に従事する者は、その業務の性質に照し、危険防止のために実験上必要とされる最善の注意義務を要求される」とした。しかし、その後の判例で、その「最善の注意義務」も無限定ではなく、「診療当時の医学的知識にもとづ」くものであることが明確にされた。すなわち、「医師としては、患者の病状に十分注意しその治療方法の内容および程度等については診療当時の医学的知識にもとづきその効果と副作用などすべての事情を考慮し、万全の注意を払って、その治療を実施しなければならないことは、もとより当然である。」としたのである(昭和44年2月6日最一判)(注1)。これらの判例は、医師の責任に関しての指導的判例となっている(注)。

(注1)河上「診療契約と医療事故」366頁以下

莇・中井『医療過誤法』132頁

(注2)加藤『不法行為』280頁

7 ≪医療行為の特殊性≫

医療行為は、人体の疾病の除去またはその予防の目的を有するとしても、それは、多くの場合投薬・注射・手術・放射線照射・輸血等による人体に対する侵襲そのものである(注1)。侵襲行為でありながら、医療行為が原則的に違法とされないのは、疾病の除去予防という有益な積極的目的をもって行われる正当な業務行為の一つにほかならないからである。また、たとえ医療行為が現代の医学知識・技術のすべてを駆使して行われるとしても、人体の組織機能の複雑性に鑑みれば侵襲による人体の反応として何人にも予想されえないような危険な結果が発生することもありうる。しかしながら、医療本来の積極的目的のゆえに右危険の存在にかかわらず、あえてこれをおかすことが許されるのである(注2)。

(注1)松倉豊治「医療過誤をめぐる諸問題」法律時報43巻6号40頁

(注2)中川・兼子・実務法律大系5・80頁

8 ≪医療過誤における作為と不作為≫

このように、投薬・注射・手術・放射線照射・輸血等の治療行為は、医療行為の性質上そもそも危険な行為であって、本来的に人体に対する何がしかの結果(損害)発生の蓋然性(危険)を有する積極的行為といえるのである。したがって、医療過誤という場合には、本来的に医療が用いている「本来的に結果(損害)発生の蓋然性(危険)を有する積極的行為(作為)」によって損害が発生した場合が先ず問題とされなければならないであろう。

ところで、医療過誤には、そのような積極的な行為によらずして損害が発生する場合、すなわち一定の診療行為を行うべきであるにも拘らず当該診療行為を怠って損害が生じる場合もある。いわゆる不作為による医療過誤である。したがって、医療過誤には作為による場合と不作為による場合との二つの場合を考えることができるのである(注1)。

医療過誤を作為による場合と不作為による場合と二つの場合に区別することは、過失、医療水準、因果関係、そして、相当程度の可能性の理論(注2)を理解する上で有用であり、本稿ではこの区別に留意しながら、議論を進めることになる。

(注1)具体的に、どのような診療行為が「本来的に結果(損害)発生の蓋然性(危険)を有する積極的行為(作為)」といえるのかについては,平井宣雄「債権各論Ⅱ不法行為」(33頁以下)参照

(注2)横浜総合病院事件最高裁判決(平成12年9月22日最二判)

平成15年11月11日最三判(急性脳症事件)

平成15年11月14日最二判(食道がん事件)

平成16年01月15日最一判(スキルス胃がん事件)

9 ≪作為による診療行為によって結果が発生した場合≫

既に述べたように、作為による診療行為とは、そもそも結果発生の蓋然性を有する行為であるから、当該作為によって当該結果が発生したという因果関係が立証された場合には、医師等の医療従事者が当該作為を行った際に、過失が存在したであろうことが事実上推定されると考えられる場合が少ないであろう。これを講学上「過失の一応の推定」というとする考え方がある(注1)。「一応の推定」の理論については、過失という規範的要件の主要事実を過失自体と捉えるか、過失の成立を根拠付ける評価根拠事実をもって主要事実と捉えるかという議論を背景にして諸説有る(注2)。

しかし、医療従事者が当該作為によって結果を発生させた場合には(因果関係が立証された場合)、医療従事者側の過失により結果が発生したということは高度な蓋然性を有する経験則といってよいのではないかと考えられる。とすると、医療従事者の当該作為から結果が発生したという事実上の推定が働くことを認め、医療従事者側で過失の不存在についての立証が事実上強いられるという意味で立証の負担が増すという傾向のあることは否定できない。医療従事者側で主張・立証すべき、過失の評価障害事実を特定することによって、「過失の一応の推定」を肯定することが可能と解される。

(注1)新堂幸司「概括的認定―過失の一応の推定」民訴百選140頁以下参照。

加藤一郎「不法行為」78頁

(注2)要件事実1巻30頁以下。

10 ≪不作為による診療行為によって結果が発生した場合≫

これに対して、不作為によって結果が発生したと推察される場合には、まず当該不作為を特定し、次に、結果と当該不作為との間の因果関係の存否が問題となる。そして、当該不作為を特定する方法として判例上確立しているのが医療水準という概念である。医療水準という注意義務の基準を用いて不作為を特定する作業を経て(医療水準に達しない不作為が当該不作為として特定される。)、その特定された当該不作為と結果との因果関係の存否が判断されることになる。医療水準に達しない不作為には通常過失が存することになるから、当該不作為に関する過失の判断が、論理的に因果関係の存否の判断に先行するわけである(注1)。この点、作為の場合との判断順序と異なる。作為の場合は、因果関係の存否の判断が先行し、因果関係が存在する場合、その次に当該作為に関する過失の存否の判断がなされるからである。反対に、因果関係が否定されると、論理的には過失の判断は不要となる。

このように、作為と不作為には、過失と因果関係を判断するに際して、判断方法に差異を来すことがあり、二つを区別して論じることは有益である。したがって、医療過誤の態様を検討する際には、当該行為が作為であるか不作為であるかを明確に認識することが必要となる(注2)。

(注1)平井「債権各論Ⅱ不法行為」83頁

(注2)潮見佳男「不法行為法」130頁

11 ≪最高裁判例≫

本稿では、以上の議論を前提として、特に次に掲げる作為に基づく医療過誤事件にう関する判決(問診義務に関する事件を含む。)について、最高裁が医療過誤についてどのように取り組んできたかを検討することにより、同判決から、医療過誤における医師等の医療従事者の過失に関する最高裁なりの考え方に踏み込んで行きたいと考えている。

対象となる最高裁判例は、次のとおりである。

① 注射化膿事件(昭和32年5月10日最二判)

② 消毒不完全事件(昭和39年7月28日最三判)

③ 水虫治療事件(昭和44年2月6日最一判)

④ 狂犬病予防接種事件(昭和39年11月24日最三判)

⑤ 輸血梅毒感染事件(昭和36年2月16日最一判)

⑥ インフルエンザ予防接種事件(昭和51年9月30日最一判)

⑦ 痘そう予防接種事件(平成3年4月19日最二判)

⑧ 薬剤能書事件(昭和60年4月9日最三判)

以上