コラム

2023.03.28

医事法講座第03回≪医療過誤における過失⑵【注射化膿事件】≫

弁護士 崔 信義(さいのぶよし/崔信義法律事務所)Ph.D.

□博士(法学)

□放射線取扱主任者(第1種免状,第2種免状)

□毒物劇物取扱責任者(一般)

□火薬類取扱保安責任者(甲種免状)

□エックス線作業主任者免許

□ガンマ線透過写真撮影作業主任者免許

□一般財団法人 日本国際飢餓対策機構(理事)

□社会福祉法人 キングスガーデン三重(評議員)


医事法講座第3回≪医療過誤における過失⑵【注射化膿事件】≫

1 注射化膿事件

まず、最初に過失の認定に関する注射化膿事件を取り上げる(注)。

本件上告審判決は、一般的に医師の過失を推定した事案として評価されているものであり、本件に関して一応の推定に関する議論も行われている。

(注)上告審:昭和32年5月10日最二判(民集11巻5号715頁、判タ72号55・56頁、ジュリ134号113頁)

第一審:年月日不明札幌地裁判決

控訴審:昭和29年12月8日札幌高裁判決

2 事案

Y(医師、被告・控訴人・上告人)はX(患者、原告・被控訴人・被上告人)を心臓性脚気と診断したので、右腕にビタミン剤等の皮下注射をし、内服薬を与え、その後4回にわたって同様の皮下注射と投薬をしていた。ところが、その後、Xは体温38度1分咽喉発赤、右腕に発赤疼痛の症状が生じたので、ブドウ糖等を注射し、咽頭処置をなし、翌日からビタミンBの注射と右腕の化膿部分を切開排膿する治療を継続したが、疼痛がおさまらなかった。そこで、Xは他の病院の医師の診察と治療を受けたところ、快方に向かったが、右手に重労働に耐え難い機能障害を被ったという事案。

3 第一審:請求一部認容

一審では、殺菌しないままの注射器を用いてXに注射し、そのため、Xは右上膊皮下腫瘍となったのであるが、病勢が悪化してもYはXを放置したとし、Xの請求を5万円の範囲で認容し、Yは控訴。

4 控訴審:控訴棄却

Xの右上膊部の本件疾患はXの心臓性脚気の治療のために注射をした際に「その注射液が不良であったか、又は注射器の消毒が不完全であったかのいずれかの過誤があっ」たと認定し、Yの控訴を棄却。

5 上告審:上告棄却

最高裁は、原審は「Xの心臓性脚気の治療のため注射した際にその注射液が不良であつたか、又は注射器の消毒が不完全であつたかのいずれかの過誤があっ」たと認定したけれども、注射液の不良、注射器の消毒不完全はともに診療行為の過失となすに足るものであるから、そのいづれかの過失であると推断しても、過失の認定事実として、不明又は未確定というべきでない。」として、Yからの上告を棄却した。

6 検討

本件は、「甲事実および乙事実がともに診療行為の過失となすに足るものである以上は、裁判所が甲または乙のいずれかについて過誤があったものと推断しても、過失の事実認定として不明または未確定というべきではない。」という内容で紹介されている事案である(注)。

(注)三淵乾太郎・判解42事件・曹時9巻7号92頁

このような内容の本件上告審判決は、選択的な事実認定ではないかということで問題とされているが、選択的な事実認定は、一般的に許されるものではない。選択的に並べられた各事実については裁判官が十分な心証を得ているとはいえず、結局あいまいな事実認定を許すことになるからである(注)。したがって、本件上告審判決が、選択的な事実認定を許容した趣旨と理解することはできない。

(注)新堂幸司「概括的認定」別冊ジュリスト169号140頁

ところで、作為による診療行為の場合、因果関係の存否の判断によって、過失の判断対象となる診療行為を特定するという順序になることは既に述べたとおりである。したがって、本件判決のように、注射液の不良又は注射器の消毒不完全のいずれかの過失があったと判断することは、既に論理的に、過失判断に先立って、因果関係の判断が先行しているのであるから、注射液の不良に因って機能障害を被った場合又は注射器の消毒不完全に因って機能障害を被った場合の二つの場合の可能性を認めているということになる。講学上、因果関係は有るか無いかの何れかだという思考方法では、二つの因果関係の可能性を認める考え方は理解に苦しむところである。また、上告理由が主張するように「患者の体質に合わないため素質を害するとか或いは刺戟が強いとか或いは吸収が遅いとか又は注射後の油断から注射部分を不潔にしたとかによる等の場合」その他多くの原因が考えられるにもかかわらず、敢えて、注射液の不良又は注射器の消毒不完全という過失があったとして認定することは、審理が不足しているとの疑問も無いではない(注)。

(注)村松俊夫・民商36巻5号695頁

「それ以上に、さらにいずれの過失によっているかを確定しなければならないとすれば、本件の場合もおそらくそうであろうが、裁判所は不可能を強いられるし、もしそれが不明であるとして判断をしなければならないとするならば、被告がどの点について過失があったか不明だとして、立証責任の原則に従って、原告を敗訴させる外ないことになる。その結果がいかに不当であるかということは明らかである。」とする。

しかし、ここでは、本件に関して最高裁初め下級審裁判所がこのように判断したのは、注射という行為が「本来的に結果(損害)発生の蓋然性(危険)を有する積極的行為(作為)」であって、注射行為がそれ自体高度の危険性を有するという特性に着目した結果であると理解すべきである。注射行為自体が何らかの結果発生の蓋然性を有する以上、その注射行為に因って右腕の注射部位が化膿し機能障害を残したということは、高い蓋然性として、あり得るということは経験則といってよいと思われる。

したがって、本件ではまず注射行為が存在し、その右腕への注射行為に因って右腕の注射部位が化膿し機能障害を残したという結果が生じたこと(注射行為と機能障害との因果関係)を先ず認定した上で、Y側の過失を推定し、Y側の自己の注射行為に過失は存在しないという過失不存在の立証が成功しなかったという事実をも併せて、裁判所は、Yの過失を認定したと考えるべきである。

新堂教授は、「『注射のあとが化膿した場合には、それは十中八九、注射をした者に当然になすべき注意を怠ったことによる』という蓋然性のきわめて高い経験則を基礎にした推定命題(『注射のあとが化膿した場合には注射をした医師の過失を推定すべし』)を採用したものと理解できる」(別冊ジュリスト169号141頁)と指摘するが、正に同趣旨である。

本判決は、本来的に危険性の高い注射行為に因って損害が生じた場合には、医療従事者の過失を推定するという「推定」の法理を最高裁が医療過誤事件において採用したという趣旨で意義のある判決である(注)。

(注)新堂幸司「概括的認定」民訴百選141頁

しかし、一応の推定という法理を敢えて認める必要があるかどうかについて、疑問を呈する説もあり、又本件判決が、一応の推定を採用したかどうかについても、慎重な検討が必要であると考える(注)。

(注)伊藤・民訴332頁,伊藤・事実認定の基礎140頁以下

医療過誤訴訟において、その過失の対象となる医療従事者の行為が注射行為等の作為である場合に、その危険性に着目して、過失を事実上推定することは可能であり、一応の推定という法理を、事実上の推定という考え方とは違った意味で使用する必要性があるかという疑問もある。

しかし、何れにせよ、本件上告審判決は、注射行為から注射部位の化膿という結果が生じた場合に、原因行為を「注射液が不良であつたか、又は注射器の消毒が不完全であつたかのいずれかの過誤」があったという事実認定をすることによって、X側が、注射液の不良か、注射器の消毒不完全かの、何れかに特定するまで証明することを必要とせずに、医師側の過失を認定している点で、結果的にX側の立証の負担が軽減されていることは認めざるを得ない。しかし、これは、証明度の軽減を認めた趣旨ではあるまい。本来的に危険性を有する注射行為から注射部位の化膿という結果が生じたという因果関係の存在を前提とする以上、注射行為自体に医師側の過失を推定し、医師側が過失の不存在について反証が成功しなかったという事実をも合わせて、裁判所としては、医師の過失につき確信に到達したと考えるベきであり、証明度の軽減まで認めた趣旨ではないと解される(注)。ただ、このような事実認定の方法が、本件のような注射行為等医療過誤事件の場合を越えて、一般的に承認されるかどうかは慎重に考えなければならないであろう。本件では、注射行為という本来的に危険な行為に関して過失が推定されている事案である点に着目されるべきである。

(注)新堂幸司「概括的認定」民訴百選141頁

なお、上告理由においては、主張もしていない事実を認定しているという弁論主義違反を主張しているが、注射器の消毒不完全であれ、注射液の不良であれ、注射行為に際して細菌などを体内に侵入させたことが過失の評価の対象となる主要事実であると捉えることも可能であり、その際には、裁判所が、注射液の不良又は注射器の消毒不完全という過失が存在したとの事実は間接事実して評価され(注)、弁論主義違反とはならない。

(注)伊藤・民訴332頁・脚注273)参照。

以上