コラム
2023.04.03
医事法講座第04回≪医療過誤における過失⑶【消毒不完全事件】≫
弁護士 崔 信義(さいのぶよし/崔信義法律事務所)Ph.D.
□博士(法学)
□放射線取扱主任者(第1種免状,第2種免状)
□毒物劇物取扱責任者(一般)
□火薬類取扱保安責任者(甲種免状)
□エックス線作業主任者免許
□ガンマ線透過写真撮影作業主任者免許
□一般財団法人 日本国際飢餓対策機構(理事)
□社会福祉法人 キングスガーデン三重(評議員)
医事法講座第4回≪医療過誤における過失⑶【消毒不完全事件】≫
過失の認定に関する判例
1 消毒不完全事件
本件(注)は、いわゆる消毒不完全事件であるが、医師の消毒の不完全を理由とする損害賠償の請求を認容する判決において、右消毒の不完全部分を確定しないで過失を認定しても違法ではないとされた事例として紹介されている。
上告審:昭和39年7月28日最三判(民集18巻6号1241頁、判時380号26頁、判タ165号78頁)
第一審:昭和36年10月4日松山地裁今治支部判決
控訴審:昭和38年4月15日高松高裁判決
2 事案
X(原告・控訴人・被上告人)は昭和34年10月27日分娩のためにY(被告・被控訴人・上告人)経営のA産婦人科病院へ入院し、同日から翌28日にかけてYから無痛分娩の方法として背髄硬膜外麻酔注射を受けたが、注射部位にブドウ状球菌が侵入し、脊髄硬膜外膿瘍などに罹患し入院加療を受け、病状全治の見込みがないという状況にある。
3 裁判経過
第一審:Yの過失を否定してXの請求を棄却。X控訴。
控訴審:原判決取消
「ブドウ球菌に感染したのは右(1)の場合つまり前記注射に際し注射器具、施術者の手指あるいは患者の注射部位の消毒が不完全(消毒後の汚染を含めて)であったためそれらに付着していた菌がXの体内に侵入したためであったと推認するのが相当」であるとし、「そうだとすると、Yは診療に従事する医師としては当然なすべき注意義務を怠り、消毒の不完全な状態で前記麻酔注射を行った過失がある」とした。Y上告。
4 上告審:上告棄却
「原判決によれば、原審において、ブドウ状球菌の繁殖によるXの硬膜外膿瘍および圧迫性脊髄炎は、Yのした麻酔注射に起因する旨認定したうえ、(中略)(1)の場合即ち、注射器具、施術者の手指、患者の注射部位等の消毒の不完全(消毒後の汚染を含む)により、注射器具、施術者の手指、患者の注射部位等に附着していたブドウ状球菌が被上告人の体内に侵入したため生じた病気である旨認定している」。「医者たるYの麻酔注射に起因してXが前記の如く罹患した場合において、右病気の伝染につきYの過失の有無を判断するに当り」、(中略)「伝染の最も可能性ある右(1)の経路に基づきこれを原因として被上告人に前記病気が伝染したものと認定することは、診療行為の特殊性にかんがみるも、十分是認しうる」。
「しかして、右(1)の如き経路の伝染については、Yにおいて完全な消毒をしていたならば、患者たるXが右の病気に罹患することのなかつたことは原判決の判文上から十分うかがい知ることができ、したがつて、診療に従事する医師たるYとしては、ブドウ状球菌を患者に対し伝染せしめないために万全の注意を払い、所論の(1)の医師患者その診療用具などについて消毒を完全にすべき注意義務のあることはいうまでもなく、かかる消毒を不完全な状態のままで麻酔注射をすることは医師として当然なすべき注意義務を怠っていることは明らか」である。
「原判決は、前記注射に際し注射器具、施術者の手指あるいは患者の注射部位の消毒が不完全(消毒後の汚染を含めて)であり、このような不完全な状態で麻酔注射をしたのはYの過失である旨判示するのみで、具体的にそのいずれについて消毒が不完全であつたかを明示していないことは、所論の通りである。
しかしながら、これらの消毒の不完全は、いづれも、診療行為である麻酔注射にさいしての過失とするに足るものであり、かつ、医師診療行為としての特殊性にかんがみれば、具体的にそのいずれの消毒が不完全であつたかを確定しなくても、過失の認定事実として不完全とはいえない。」
5 検討
㈠ 表見証明
本件は、医師の注射の際の過失が問題となったものであり、類似の事案で、本件に先立つ消毒不完全事件によってなされた過失の「選択的(択一的)認定」を踏襲したものであると評価されている。そして判旨には、「一応」とか「推定」と言った表現を用いていないものの、いわゆる「表見証明」(注1)によって過失を肯定したものとして先例的意義を有しているとされる(注2)。
(注1)中野貞一郎「医療裁判における表明責任」ジュリ548号・310頁
(注2)春日偉知郎・別冊ジュリ140号46頁
原審においては、(1)YはXに対して麻酔薬を硬膜外に注入して無痛分娩を試みたこと、(2)その後4、5日後にXが腰部の疼痛と下肢の麻痺を訴えはじめ整形外科病院に入院したこと、(3)同病院において脊髄硬膜の外側に膿瘍が発見されブドウ球菌が検出されたこと、(4)同病院医師は右症状はその注射に起因するものと直感し、注射の際ブドウ球菌が侵入したと考えるのが常識であること等から、ブドウ状球菌の繁殖によるXの硬膜外膿瘍および圧迫性脊髄炎は、Yのした麻酔注射に起因する旨認定している。その認定の仕方は間接事実からの推認の手法によるものであり正当であると考える。そして、伝染の経路として4つの可能性を上げたうえで、3つの可能性を否定して、残りの一つの伝染経路で伝染したことを認定したのである。
そもそも、麻酔注射も注射であり、既に述べたように、「本来的に結果(損害)発生の蓋然性(危険)を有する積極的行為(作為)」である。したがって、当該麻酔注射に因ってブドウ状球菌の繁殖によるXの硬膜外膿瘍および圧迫性脊髄炎が発生したという因果関係が認定される以上、当該麻酔注射をする際にブドウ状球菌が侵入したことについては医師であるYの過失が推定され、それを前提として、可能性のある伝染経路を割り出し、「注射器具、施術者の手指、患者の注射部位等の消毒の不完全(消毒後の汚染を含む)により、注射器具、施術者の手指、患者の注射部位等に附着していたブドウ状球菌が被上告人の体内に侵入した」という事実を推認し、Y側の反証が成功しなかったとして、伝染経路を認定し、Yの過失を認定したと解すべきである。
このようにX側は、主張する事実としては、当該麻酔注射に因ってブドウ状球菌の繁殖によるXの硬膜外膿瘍および圧迫性脊髄炎が発生したという因果関係を主張・立証することによって、麻酔注射に際してYの過失が存在することが推定され、Y側で過失が存在しないことを反証できないかぎり、Yの過失が認定される。このような思考方法からすると、Y側で自己の無過失を立証する過程で、ブドウ球菌の伝染以外の伝染経路を立証しなければならないのであり、その経路を立証できない場合は、反証が失敗したとして、過失が認定される。したがって、判決でブドウ球菌の伝染経路を示したのは、Y側で、原審が示した伝染経路を否定するに足る立証ができなかったからである。Y側が、「具体的にそのいずれについて消毒が不完全であつたかを明示していない」ことを非難することは自己の反証の失敗の不利益を判決に転嫁することに帰着する。判決が「医師診療行為としての特殊性にかんがみれば、具体的にそのいずれの消毒が不完全であつたかを確定しなくても、過失の認定事実として不完全とはいえない」としたのは正にその趣旨であると思われる。
㈡ 弁論主義違反について
なお、本件上告審判決に対しては、請求原因としての注意義務の特定として十分といえるか、被告である医師側の防御に不利益を与えないか、いわゆる弁論主義との関係が指摘されている(注)。
しかし、本件における医師の注意義務は、「ブドウ状球菌を患者に対し伝染せしめないために万全の注意を払い、所論の(1)の医師患者その診療用具などについて消毒を完全にすべき注意義務」であり、「かかる消毒を不完全な状態のままで麻酔注射をすることは医師として当然なすべき注意義務を怠っている」という過失を認定しているのであって、過失を根拠付ける事実となる主要事実は、ブドウ状球菌を患者に対し伝染させたという事実であって、伝染経路は、その伝染の事実という主要事実を推認させる間接事実の地位にある。そして、弁論主義の適用対象は、主要事実に限定され、間接事実には及ばないから、本件上告審判決において弁論主義違背の問題は生じないと解される。
(注)佐藤陽一「治療上の注意義務」山口・現代民事裁判の課題178頁は、「類型化された択一的な行為の何れの場合でも注意義務に反すると判断される以上、一方でそれ以上の特定が現代医学水準をもってしても困難であり、他方で択一的にせよ特定された事柄がいずれも注射に当たっては基本的に遵守すべき事柄とされておりながら、それによって悪循環が生じたとすれば、何らかの落ち度が介在したものと推認されるという関係にあるため、単にそのいずれの不注意かを確定できないという理由で医師が免責されるとするのは不合理といわざるを得ないことからすると、特定及び防御の要請は、通常の場合に比べて後退するのもやむを得ないところといえよう。」と指摘するが、「特定及び防御の要請は、通常の場合に比べて後退する」との問題は生じないと解される。
判例評釈等:
奈良次郎・判解72事件・曹時16巻10号183頁
石田穣・法協91巻9号1462頁
清水兼男・民商52巻3号145頁
江田五月・別冊ジュリ50号36頁
春日偉知郎・別冊ジュリ140号46頁
以上