コラム
2023.04.03
医事法講座第07回≪医療過誤における過失⑹【輸血梅毒感染事件】≫
弁護士 崔 信義(さいのぶよし/崔信義法律事務所)Ph.D.
□博士(法学)
□放射線取扱主任者(第1種免状,第2種免状)
□毒物劇物取扱責任者(一般)
□火薬類取扱保安責任者(甲種免状)
□エックス線作業主任者免許
□ガンマ線透過写真撮影作業主任者免許
□一般財団法人 日本国際飢餓対策機構(理事)
□社会福祉法人 キングスガーデン三重(評議員)
医事法講座第⑺回≪医療過誤における過失⑹【輸血梅毒感染事件】≫
過失の認定に関する判例
1 輸血梅毒感染事件
注射化膿事件、消毒不完全事件、水虫治療事件は、狂犬病予防接種事件をそれぞれ見てきたが、これらは注射行為、放射線照射行為という、それ自体に危険性を内包している治療行為であって、医療従事者がそのような治療行為を選択する以上、その行為に因って損害という結果が発生したと認められるときは、その治療行為自体に医療従事者の過失が存在すると推定し、その結果、医療従事者側が反証に成功できない場合には、医療従事者の過失を認定するという手法によって、医療従事者側に責任を認めたケースであった。
ところが本件は、危険性が内包されているその行為自体に過失が存在するとされたケースではなく、その危険な行為に付随する行為、特に「問診」(注)について争われたケースである。
上告審:昭和36年2月16日最一判(民集15巻2号244頁、判時251号7頁、判タ115号76頁)
第一審:昭和30年4月22日東京地判(下民6巻4号784頁、訟月1巻4号89頁)
控訴審:昭和31年9月17日東京高判(下民7巻9号2543頁、判時88号3頁、判タ63号55頁)
(注)須田清「診療上の注意義務(問診、検査、診断)」山口・現代民事裁判の課題145頁は、「問診とは、医師と患者の対話である。この対話を通して医師と患者の信頼関係が築かれる。」とする。問診は、医師と患者の関係であるが、本件輸血梅毒感染事件において問題となった問診は、患者に輸血する前段階の第三者からの採血の段階での問診の程度が問われているのであって、問われている側面が異なる。そういう意味で、「医師が採血に際して被採血者の私生活にどこまでふみ込んで質問すべきかということが実質的な争点である。」との指摘が正しいと思われる(同147頁)。
2 事案
X(原告・被控訴人・被上告人)は、昭和23年2月5日子宮筋腫のためY(被告・控訴人・上告人)の東京大学医学部附属病院分院産婦人科に入院し、体力増強のため4回(7日、8日、9日及び27日)に亘ってA医師から輸血を受けたが、そのうちの1回は職業的給血者であるBからの給血によるものであり、当時Bは梅毒に感染しており、その結果輸血を受けたXは梅毒に罹患した。そこで、梅毒罹患の結果に基づきXが蒙った損害の賠償を求めたのが本件である。
3 裁判経過
第一審:一部認容。
A医師の過失責任を認め、輸血による梅毒罹患の事実を認定した。
Xの梅毒罹患が輸血に因ることは医学的に必ずしも断定できないというYの主張に対し判決は、「この点につきYはXの梅毒罹患が輸血に因ることは医学的に必ずしも断定できないと主張してゐるが右主張は裁判の対象となる事実の証明は科学の対象としての事実の証明と本質的に差異のあるものであることを考へない科学者の陥り易い誤解である。裁判上における証明は科学的証明とは異り、科学上の可能性がある限り、他の事情と相俟って因果関係を認めて支障はなく、その程度の立証でよい。科学(医学)上の証明は論理的必然的証明でなければならず、反証を挙げ得る限り未だ立証があったとは云へまいけれど、裁判上は歴史的事実の証明として可能性の程度で満足するの外なく従って反証が予想されるものでも立証があったと云ひ得るのである。」
4 控訴審:控訴棄却。
原判決に対してYは「本件担当医師のおかれた諸条件の下においては、給血者に対する問診の省略が許されるものと解するのが相当であって、これに反する原判決の判断は、医師に対して不当に過度の注意義務を課した誤りがある。」(民集15巻2号249頁)として、Xの主張に対する抗弁として、「問診を省略する慣行が行われていた」(同247頁)という抗弁を提出したのである。
5 上告審:上告棄却。
「医師が直接診察を受ける者の身体から知覚し得る以外の症状その他判断の資料となるべき事項は、その正確性からいって、血清反応検査、視診、触診、聴診等に対し従属的であるにもせよ、問診によるより外ない場合もあるのであるから、原判決が本件において、たとい給血者が、信頼するに足る血清反応陰性の検査証明書を持参し、健康診断及び血液検査を経たことを証する給血斡旋所の会員証を所持する場合であっても、これらによって直ちに輸血による梅毒感染の危険なしと速断することができず、また陰性又は潜伏期間中の梅毒につき、現在、確定的な診断を下すに足る利用可能な科学的方法がないとされている以上、たとい従属的であるにもせよ、梅毒感染の危険の有無について最もよく了知している給血者自身に対し、梅毒感染の危険の有無を推知するに足る事項を診問し、その危険を確かめた上、事情の許すかぎり(本件の場合は、一刻を争うほど緊急の必要に迫られてはいなかった)そのような危険がないと認められる給血者から輸血すべきであり、それが医師としての当然の注意義務である」。
さらに、判決は「医師の間では従来、給血者が右のような証明書、会員証等を持参するときは、問診を省略する慣行が行なわれていた」という主張に対しては、「注意義務の存否は、もともと法的判断によって決定さるべき事項であって、仮に所論のような慣行が行なわれていたとしても、それは唯だ過失の軽重及びその度合を判定するについて参酌さるべき事項であるにとどまり、そのことの故に直ちに注意義務が否定さるべきいわれはない。」とした。
また、「原判旨のような問診は、医師に過度の注意義務を課するものである」という主張に対しては、「いやしくも人の生命及び健康を管理すべき業務(医業)に従事する者は、その業務の性質に照し、危険防止のために実験上必要とされる最善の注意義務を要求されるのは、已むを得ない」とした。
6 検討
現在では、輸血の大部分は成分輸血という形で行われており職業的給血者からの血液供給体制も過去のものであり、輸血用製剤による疾病源の感染については、今後は主に製薬会社の製造物責任のレベルで解決されるであろうから、輸血という局面での問診義務の成否及びその内容が争われた本判例が先例として、どのような意味を持つのか疑問もあるが、医療従事者の注意義務の程度に関する先例としての意味を有することは否定できないであろう(注)。
(注)錦織成史・別冊ジュリ140号98頁
ところで、一般的に「問診は、元来、医師の質問とそれに対する患者の答弁によって完成するものであり、しかもその結果が医師の判断の出発点をなすものである。したがって医師は当然正しい、適切な質問をしなければならないが、患者も又それをよく理解して正しく答えなければならない。すなわち正確な問診の成否如何については、患者にも一半の責がある。」(注)とされている。
(注)松倉『医学と法律の間』46頁
医師の診療の相手方としての患者が問診の対象である場合は、正にそのようにいえるであろう。ところで、本件は、問診の相手方が職業的給血者であり、医師の診療行為の相手方ではない。診療行為の相手方は、職業的給血者からの血液を輸血される本件Xである。したがって、先の一般的問診の考え方は、本件Xには該当しない。むしろ、Xは輸血を受ける立場にいるから、その態様からしても、注射化膿事件、消毒不完全事件、水虫治療事件は、狂犬病予防接種事件と同じく、輸血はXにとっては「本来的に結果(損害)発生の蓋然性(危険)を有する積極的行為(作為)」であるとみることが可能であるから、その輸血行為自体に因って梅毒感染という結果が生じ、因果関係が肯定される以上は、輸血を施した医師側に、輸血に際して過失が存在したとの推定をなし、医師側が反証をもってその推定を覆すことができない以上、過失が認定されると解される。
本件上告審判決は、「A医師が、懇ろにBに対し、真実の答申をなさしめるように誘導し、具体的かつ詳細な問診をなせば、同人の血液に梅毒感染の危険あることを推知し得べき結果を得られなかったとは断言し得ない。」として、「梅毒感染の危険あることを推知し得べき」可能性の存することを示し、その可能性が存在する以上、梅毒感染の危険あることを推知し得べき結果を引き出すように問診をする義務を認め、単に「からだは大丈夫か」というAの問診は十分ではなかったとして、A医師の過失が認定された。
しかし、「梅毒感染の危険あることを推知し得べき結果を得られなかったとは断言し得ない」ということは、文脈からすると「推知し得べき結果を得られなかった」という可能性を否定するものではない。むしろ、「推知し得べき結果」を得られた可能性と、得られない可能性の何れが確率的に高いかという問題であれば、本件は、必ずしも、「推知し得べき結果」を得られた可能性が高いとは断言できない事例であろうと思う。そして、立証責任の原則からすると、原告であるXに「推知し得べき結果」を得られた可能性が高いことの立証責任があるが、そのような可能性の高さを証明する証拠が示されないまま、「梅毒感染の危険あることを推知し得べき結果を得られなかったとは断言し得ない」という論理で以って、A医師の過失を認定しているのである。問題は、このような論理でA医師の過失を認定することは、証明度の観点から問題はないのかということである。言葉を変えて言うと、「推知し得べき結果」を得られた可能性と、得られない可能性の何れもが存在する状況において、何故に、「推知し得べき結果」を得られた可能性を理由にして、A医師の過失を認定することができるかという問題である。
思うに、本件上告審判決のように、「推知し得べき結果」を得られた可能性からA医師の過失を導くためには、A医師側の過失の推定という論理を介在させるしかないと思われる。すなわち、「A医師が、懇ろにBに対し、真実の答申をなさしめるように誘導し、具体的かつ詳細な問診をなせば、同人の血液に梅毒感染の危険あることを推知し得べき結果を」得られる可能性がある場合には、A医師側に過失が推定され、A医師側が、反証として、仮に真実の答申をなさしめるように誘導し、具体的かつ詳細な問診をしたとしても、Bの血液に梅毒感染の危険あることを推知し得べき結果を得られる可能性が有ったとはいえないという蓋然性を立証する必要があり、医師側がその蓋然性を立証できない場合には、その立証ができないという事実と併せて、「推知し得べき結果」を得られた可能性を認定し、A医師に「相当の問診をすれば結果の発生を予見し得たであろうと」という事実を推測して過失を認定するのである。
本件上告審判決は、「具体的かつ詳細な問診をなせば、同人の血液に梅毒感染の危険あることを推知し得べき結果を得られなかったとは断言し得ない。」という表現を用いてA医師の過失を導いているが、しかし、過失認定の前提として、過失の推定という思考方法が介在しているのである。
もちろん、過失が推定されるとの文言は判決文中には示されていないが、「いやしくも人の生命及び健康を管理すべき業務(医業)に従事する者は、その業務の性質に照し、危険防止のために実験上必要とされる最善の注意義務を要求されるのは、已むを得ないところといわざるを得ない。」という文言から、医師の高度の注意義務を導きだし、それを根拠にして、過失の推定という思考方法を経て、A医師の過失を肯定していると考えられるのである。このように考えないと、「推知し得べき結果を得られなかったとは断言し得ない」との曖昧な文言からA医師の過失を肯定する論拠を見い出すことは困難である。反対に、本件においてA医師に過失が推定されなければ、過失の立証責任はXにあるので、A医師の問診によって「梅毒感染の危険あることを推知し得べき」結果を引き出すことができたであろう蓋然性を立証しなければならないことになる。しかし、このような立証は困難であろう。
本判決は、「危険防止のために実験上必要とされる最善の注意義務を要求される」という法理を示すことによって(注)、医療従事者の輸血に因って患者側に損害が発生した場合の、医療従事者の輸血行為に過失が存在することの推定が働くことを判示したものとして理解することができる。
(注)錦織成史・別冊ジュリ140号98頁
「『実験上必要とされる最善の注意義務』は、本件におけて職業的給血者Bが真実の答術をする可能性がある以上、被侵害法益の重大性からみて、A医師の問診では不十分であるという結論を、言いかえたものと評価し得よう。」とする。
以上