コラム

2023.04.03

医事法講座第08回≪医療過誤における過失⑺【インフルエンザ予防接種事件】≫

弁護士 崔 信義(さいのぶよし/崔信義法律事務所)Ph.D.

□博士(法学)

□放射線取扱主任者(第1種免状,第2種免状)

□毒物劇物取扱責任者(一般)

□火薬類取扱保安責任者(甲種免状)

□エックス線作業主任者免許

□ガンマ線透過写真撮影作業主任者免許

□一般財団法人 日本国際飢餓対策機構(理事)

□社会福祉法人 キングスガーデン三重(評議員)


医事法講座第⑻回≪医療過誤における過失⑺【インフルエンザ予防接種事件】≫

過失の認定に関する判例

1 インフルエンザ予防接種事件

予防接種とは、疾病に対して免疫の効果を得させるために、免疫原を人体に注射し、又は接種することをいう(予防接種法2条1項)。国は、予防接種制度を定め、予防接種法及び附属法令によって運用する。予防接種事故による損害賠償請求の要件としては、まず、当該予防接種と被接種者の疾病、障害又は死亡との間の因果関係が認定される必要があり、これが肯定された場合に、当該接種を担当した医師の過失の成否が問題とされる(注1)。

本件(注2)と次に検討する予定の痘そう予防接種事件とは、同じく予防接種に関する事案である。両者の違いは、本件は担当医師の結果予見性に関する事案であり、痘そう予防接種事件は禁忌者該当性に関する事案である。

(注1)橋本英史「予防接種上の注意義務」山口・現代民事裁判の課題222頁

(注2)上告審:昭和51年9月30日最一判(民集30巻8号816頁、裁集民118号471頁、裁時700号1頁、判時827号14頁、判タ340号100頁)

第一審:昭和48年4月25日東京地裁判決

控訴人:昭和49年9月26日東京高裁判決

 

2 事案

原告らの子であるA(昭和41年10月14日生まれ男児)は、昭和42年11月4日午前11時頃東京都においてYの公務員である医師訴外Bからインフルエンザの予防接種を受けた。Aは、1週間位前から、中等度ないし高度の間質性肺炎及び濾胞性大小腸炎に罹患していたところ、右予防接種の日の翌日である同月5日午前7時過ぎころ、罹患していた右疾病のため死亡するに至ったという事案。

 

3 裁判過程

第一審判決は、「体温測定、視診、聴診、打診については、結果に対する予見可能性がなかったのであるから、これらの注意義務が存在するか否か又はそれをつくしたか否かにかかわりなく、訴外田島の過失責任を問うことはできない」として請求を棄却したが、控訴審判決は、第一審判決に加えて、「仮に同田島において雄一の身体の具合につき問診しなかったとしても、このことから直ちに本件事故発生につき同田島の問診義務違反との間に因果関係を認めることはできない」として控訴を棄却した。

 

4 上告審:原判決破棄差戻。

上告審は、勧奨接種であるとする本件予防接種にも実施規則と実施要綱の諸規定の適用があるとし、「インフルエンザ予防接種は、接種対象者の健康状態、罹患している疾病、その他身体的条件又は体質的素因により、死亡、脳炎等重大な結果をもたらす異常な副反応を起すこともあり得るから、これを実施する医師は、右のような危険を回避するため、慎重に予診を行い、かつ、当該接種対象者につき接種が必要か否かを慎重に判断し、実施規則四条所定の禁忌者を的確に識別すべき義務がある。」とした。

そして、予防接種に際しての問診について、予防接種を実施する医師は、「禁忌者を識別するに足りるだけの具体的質問、すなわち実施規則4条所定の症状、疾病、体質的素因の有無およびそれらを外部的に徴表する諸事由の有無を具体的に、かつ被質問者に的確な応答を可能ならしめるような適切な質問をする義務がある。」とし、「医師の口頭による問診の適否は、質問内容、表現、用語及び併用された補助方法の手段の種類、内容、表現、用語を総合考慮して判断すべきである。」としたのである。

さらに、「このような方法による適切な問診を尽さなかつたため、接種対象者の症状、疾病その他異常な身体的条件及び体質的素因を認識することができず、禁忌すべき者の識別判断を誤って予防接種を実施した場合において、予防接種の異常な副反応により接種対象者が死亡又は罹病したときには、担当医師は接種に際し右結果を予見しえたものであるのに過誤により予見しなかつたものと推定するのが相当である。」とし、「そして当該予防接種の実施主体であり、かつ、右医師の使用者である地方公共団体は、接種対象者の死亡等の副反応が現在の医学水準からして予知することのできないものであつたこと、若しくは予防接種による死亡等の結果が発生した症例を医学情報上知りうるものであつたとしても、その結果発生の蓋然性が著しく低く、医学上、当該具体的結果の発生を否定的に予測するのが通常であること、又は当該接種対象者に対する予防接種の具体的必要性と予防接種の危険性との比較衡量上接種が相当であつたこと(実施規則四条但書)等を立証しない限り、不法行為責任を免れないものというべきである。」

「そして前述のような見地から、担当医師が、(一)適切な問診をしたならば、雄一について、接種当時軟便であつた事実のほか、どのような疾病、症状、身体的条件、病歴等を認識しえたか、(二)適切な問診を尽して認識しえた事実があれば、体温測定、聴打診等をすべきであったか、(三)右体温測定、聴打診等をしたならばどのような疾病、症状、身体的条件等を認識しえたか、(四)右予診によって認識しえた事実を前提にした場合雄一が禁忌者であると判断するのが医学上相当であったか、についてさらに審理を尽す必要があるから、本件を原審に差し戻す」。

 

5 検討

インフルエンザ予防接種に用いるワクチンは、医薬品の中でも劇薬扱いのカテゴリーに入り、副作用の可能性も否定できないが、一方、感染による致命率も低く罹患症状もそれほど重篤ではなく、感染防止効力にも疑問が提示され、集団接種の必要性にも異論もあるようである。それにもかかわらず、インフルエンザ予防接種が、勧奨接種として集団接種されてきたのは、インフルエンザの罹患によって致命的あるいは重篤な結果を生ずる危険性の高い慢性心肺疾患が妊婦、高齢者にまで感染が拡大することを避けるために社会集団全体の免疫水準を高めるためであるといわれており、社会集団全体のために、個人の生命の安全・身体に対する危害をある程度やむを得ないとして容認し、発生した被害については、公共的負担において措置するのを相当とするという考え方に基づいていると考えられる(注1)。

そこで、実施規則4条は、禁忌者に対し予防接種をすると、被接種の死亡等の結果が発生することがありうるという危惧感が医学上存在することを前提として、禁忌者に対して接種を回避することを原則的義務とし、その前提として、被接種者のなかから禁忌者を識別する義務を規定し、その禁忌者識別の手段として、体温測定、問診、視診、聴打診等の方法による予診義務を規定している。最高裁は、実施規則が勧奨接種である本件予防接種にも適用されるとして、規定されている問診に関して判断を示したのである(注2)。

(注1)鬼頭季郎『判解』29事件341頁

(注2)鬼頭季郎『判解』29事件337頁

最高裁は、予防接種を実施する医師に、問診義務を認めるが、その方法は、「禁忌者を識別するに足りるだけの具体的」かつ「被質問者に的確な応答を可能ならしめるような適切な質問をする義務がある。」としたのである。そして更に進んで、質問の方法は「すべて医師の口頭質問による必要は無く」、問診票の利用、質問事項等の掲記公示、看護婦等に質問を代行させる等を併用し、「医師の口頭による質問を事前に補助せしめる手段を講じることは許容される」とし、「医師の口頭による問診の適否は、質問内容、表現、用語及び併用された補助方法の手段の種類、内容、表現、用語を総合考慮して判断すべきである。」とした。

そして、適切な問診を尽さなかったため、接種対象者の異常な身体的条件及び体質的素因を認識できず、禁忌すべき者の識別判断を誤って予防接種を実施し、予防接種の異常な副反応に因って接種対象者の死亡又は罹病という結果が発生したときには、「担当医師は接種に際し右結果を予見しえたものであるのに過誤により予見しなかつたものと推定する」のが相当であるとした。要するに、適切な問診を尽くさなかったことに因って、死亡又は罹病という結果が発生し、その間に因果関係が認められる場合、医師の結果発生に関する予見可能性を推定したのである。

(注)鬼頭季郎『判解』29事件343頁は、「インフルエンザ予防接種については、発熱等の副反応が不可避的であったといえても、死亡、後遺障害等の結果が発生する頻度は極めて低く、一方、実施規則4条の禁忌者として掲げられている者、たとえば慢性肺疾患者、慢性心疾患者、糖尿病患者、妊婦などにこそインフルエンザ感染による重篤な影響を避けるため予防接種をすべきであるとする医学的見解もあることに鑑みれば、禁忌者に対しインフルエンザ予防接種をしても死亡等の結果が発生する蓋然性は、少なくとも医学的には低いものと評価されているであろうことが窺われる。そうすると、禁忌者識別義務を怠ってインフルエンザ予防接種を行った場合、死亡等の結果を発生することの具体的予見可能性があったと判断することは、事実上の推定としては無理がある。したがって、本判決がかかる事実上の推定をなしたものと解するのは相当でない。」とする。

最高裁は医師の結果発生の予見可能性を前提として、予防接種の実施主体であり、右医師の使用者である地方公共団体の不法行為責任に関する証明責任の分担に関して論及する。そして、①「接種対象者の死亡等の副反応が現在の医学水準からして予知することのできないものであつたこと」、若しくは②「予防接種による死亡等の結果が発生した症例を医学情報上知りうるものであつたとしても、その結果発生の蓋然性が著しく低く、医学上、当該具体的結果の発生を否定的に予測するのが通常であること」、又は③「当該接種対象者に対する予防接種の具体的必要性と予防接種の危険性との比較衡量上接種が相当であつたこと(実施規則四条但書)」等を立証することによって、地方公共団体は使用者としての不法行為責任を免れることができるとした。

鬼頭季郎調査官(判解29事件344頁)は、「結局、本判決は、結果予見義務を中心とする過失概念のもとに理解するとなれば、予見可能性の判断を基礎づける諸事実につき、蓋然性の観点を離れた別個の公平等の観点から、被接種者側と医師側とに証明責任の分担をなさしめたものと解することになろう。」と理解なさっている。その趣旨は、社会集団全体の防衛の為、個人の生命・身体に対する被害を「許された危険」として容認し、発生した被害については、公共的負担において措置するのを相当とするという思想を前提とし、地方公共団体に責任を負わせる要件として(謂わば地方公共団体に対する非難可能性を肯定するための手段として)、医師の結果発生に関する予見可能性の推定を擬制したものと理解すべきであり、ただ、地方公共団体に対しても反証の機会を与えるために、上記①から③の事実についての主張・立証を認めたものと理解される。

このように考えると、医師が適切な問診を尽さなかったために生じた接種対象者の死亡又は罹病という結果に対して、担当医師に「右結果を予見しえたものであるのに過誤により予見しなかつたものと推定する」という法理が適用可能となる局面は、担当医師を被使用者として、使用者である地方公共団体に対し不法行為責任を追求する場合であって、医師に対して不法行為責任を追求する場合に、同法理を適用して、担当医師の過失を肯定することには、本件最高裁の判例の射程は及んでいないと解すべきであろう(注1)。担当医師の責任に関しては、従来どおりの過失の立証が要求されるのであり、実施規則4条を根拠とした、予見可能性の推定は適用されないのである(注2)(注3)。

 

(注1)本件は、「集団接種の場合」についての判例であり、判決によれば「当該予防接種の実施主体であり、かつ、右医師の使用者である地方公共団体」が①から③の事実を「立証をしない限り、不法行為責任を免れないものというべきである。」と判示していることからすると、本件判例は集団訴訟の場合の予防接種を実施する医師には適用されないとの解釈が妥当であろう。

 

(注2)小野寺規夫「裁判実務大系17医療過誤訴訟法」650頁

 

本判決直後、「予防接種を現実に担当実施していた全国各地の医師会は、集団による予防接種の協力を中止する旨を声明し、それに他の地区医師会が同調した。各地の医師会のいう予防接種協力の中止の理由としては、当時の新聞報道によると、たとえば徳島県医師会は、『医師の問診を義務づけた最高裁の判断は、時間、経費、人手の面からみて事実上、実施は不可能だ。また、判断にいう問診の中身自体も不明確で医師の過失責任の免責範囲もあいまいであり、行政側がなんらかの対策を示すまで予防接種に協力できない。』とのべ、その他山形県医師会、北海道医師会、東京都医師会も同趣旨の理由を述べていた。」と紹介する。医師会側の示した理由は尤もであると考える。

ただ、本件判決が、実施主体である地方公共団体に対する責任を問う場合の要件を定めたものであって、予防接種を担当する医師に対する過失を論じたものではないと理解する立場からは、医師会の理由は単なる危惧ではないかとの評価も可能だと思う。

 

(注3)第一審判決は、理由の二の2において、判示しているように、「従って、本件は、訴外田島において、訴外雄一に対し、体温測定、視診、聴診、打診を行っても、間質性肺炎および濾胞性大小腸炎の存在を推認しえず、従って予防接種をすればその結果として何らかの副作用を生ずるかも知れないことを認識しえなかった場合に属するのである。」としている。すなわち、予防接種を担当した医師に対する予見可能性を認めることができないことから、X側が予防接種の実施主体である地方公共団体に対して責任追及を行った事件であるから、本件判例の理論は、担当医師を想定していないと解されるのである。

以上