コラム

2023.04.03

医事法講座第11回≪医療過誤における過失⑽【最高裁における過失論】≫

弁護士 崔 信義(さいのぶよし/崔信義法律事務所)Ph.D.

□博士(法学)

□放射線取扱主任者(第1種免状,第2種免状)

□毒物劇物取扱責任者(一般)

□火薬類取扱保安責任者(甲種免状)

□エックス線作業主任者免許

□ガンマ線透過写真撮影作業主任者免許

□一般財団法人 日本国際飢餓対策機構(理事)

□社会福祉法人 キングスガーデン三重(評議員)


医事法講座第11回≪医療過誤における過失⑽【最高裁における過失論】≫

最高裁における過失論

1 本章の目的

本講座において、注射化膿事件から医薬品添付文書事件まで9つの事件の主に上告審判決を検討してきた。この9つの事件は、医師側の責任を肯定する方向での判断を示したものである。本章において、これらの最高裁判決から医療過誤訴訟における医師側の過失に対する最高裁の考え方の傾向を探ることにする。

 

2 対象となる診療行為

これらの事件において最高裁において医師側の責任を認める判断を示す前提となった診療行為をその種類別に区分けすると次のようになる。

医師の注射行為に関するもの

「注射化膿事件」(昭和32年5月10日最二判)

「消毒不完全事件」(昭和39年7月28日最三判)

輸血に関するもの

「輸血梅毒感染事件」(昭和36年2月16日最一判)

放射線治療に関するもの

「水虫治療事件」(昭和44年2月6日最一判)

注射行為のうち予防接種に関するもの

「狂犬病予防接種事件」(昭和39年11月24日最三判)

「インフルエンザ予防接種事件」(昭和51年9月30日最一判)

「痘そう予防接種事件」(平成3年4月19日最二判)

薬剤投与に関するもの

「薬剤能書事件」(昭和60年4月9日最三判)

「医薬品添付文書事件」(平成8年1月23日最三判)

 

3 「推定」

(1)過失の推定

診療行為が「本来的に結果発生の蓋然性(危険)を有する積極的行為」(作為の場合)である場合は、一応の推定とするか事実上の推定とするかの議論はあるが、一般的に過失を推定するという手法で過失を認定することが妥当であるということは、第1章の「作為による診療行為によって結果が発生した場合」において指摘したとおりである。そして、第2章において検討した事件は、上記2で指摘したように、注射行為、輸血、放射線治療、予防接種、薬剤投与に関するものであり、「本来的に結果発生の蓋然性(危険)を有する積極的行為」による診療行為と見られるものであり、作為による診療行為の場合であって、過失を推定するという手法に適した事例であった。最高裁は、予見可能性を推定するとか、過失を推定するという言葉で、端的に過失の推定を判決文で明言する場合もあるが、判決文において明言しないまでも、過失を推定していなければ理解が不可能が判示もあり、第2章において検討した最高裁判決は一様に過失を推定した事案であると理解することができると思う(「インフルエンザ予防接種事件」「痘そう予防接種事件」では推定の対象が若干異なるが結果的に過失を推定することになっている。)。そこで、ここでは、「本来的に結果発生の蓋然性(危険)を有する積極的行為」という場合の「結果発生の蓋然性(危険)」とは具体的に何なのか。上記9つの事件の上告審判決において、「結果発生の蓋然性(危険)」について、どのように理解されているかを見て行きたい。「結果発生の蓋然性(危険)」を具体的に検討することが、今後の過失の推定の可否に関する先例となると思われるからである。

 

(2)医師の注射行為(「注射化膿事件」「消毒不完全事件」)

医師の注射行為に関しては、最高裁は、「注射化膿事件」の場合は、「その注射液が不良であったか、又は注射器の消毒が不完全であったかのいずれかの過誤があって、その原因に基づいて発生したもの」で、「そのいずれにしても控訴人がこの注射をなす際に医師としての注意を怠った」という選択的認定を許容し、「消毒不完全事件」の場合は、「注射器具、施術者の手指あるいは患者の注射部位の消毒が不完全であった」という選択的認定を許容した点を指摘して、結果から過失を『一応の推定』をなしたものと解し、《被告の過失行為を特定しそれを積極的に主張立証すべき負担》を原告から軽減しているとの評価が学説の一般である(注)。

そして、「注射化膿事件」は、最高裁が支持している控訴審判決によれば、「注射をした部分は赤色に腫脹し漸次疼痛がはげしく」さらに「化膿して一層発赤、腫脹して疼痛のある症状で上衣の袖も通らないくらいになっていた」のであり、本件疾患により身体障碍が残ったという事例であり、本件注射により、このような重大な結果が発生する蓋然性があったと考えられる事案である。このような重大な結果発生の蓋然性が存在するという認識が背後にあって、最高裁は、結果から過失を『一応の推定』をなしたのであろう。

また、「消毒不完全事件」においては、最高裁が支持している控訴審判決によれば、腰部等に知覚鈍麻、膝蓋腱アキレス腱反射消失、両下肢は弛緩性運動鈍麻、膀胱直腸障害著明、起立歩行は不可能、右臀部右大腿後面に膿瘍を作り三ヶ所の切開排膿等々の重大な障害を残しているのであり、本件注射により、このような重大な障害が発生する蓋然性があったと考えられる。本件注射行為により結果発生の蓋然性が存在するという認識が背後にあって、最高裁は、結果から過失を『一応の推定』をなしたのである。

(注)唄『医事法学への歩み』149頁

 

(3)「輸血梅毒感染事件」

輸血に関しては、最高裁は、「輸血梅毒感染事件」において、血清反応陰性の検査証明書、給血斡旋所の会員証を所持する場合であっても、「給血者自身に対し、梅毒感染の危険の有無を推知するに足る事項を診問し、その危険を確かめた上、事情の許すかぎり(本件の場合は、一刻を争うほど緊急の必要に迫られてはいなかった)そのような危険がないと認められる給血者から輸血すべきであり、それが医師としての当然の注意義務である」とした控訴審判決を支持した。この判断は、輸血には本来的に、梅毒等の感染症の感染の危険が存在するという認識が前提となっていることは明らかである。

 

(4)「水虫治療事件」

放射線治療に関して、最高裁は、「水虫治療事件」において、当該レ線照射は、「その総線量において一般に皮膚癌発生の危険を伴わないとされていた線量をはるかにこえる過大なものであつたこと」等の事実関係の下で、「細心の注意を払って皮膚癌のような重大な障害の発生することのないよう万全の措置をすべき業務上の注意義務」を医師に認め、同注意義務違反の過失を肯定した。そのような注意義医務違反を認めるということは、レ線照射が本来的に「皮膚癌のような重大な障害の発生する」危険性・蓋然性が高いからであって、レ線照射の本来的危険性に着目した判断といえる。

 

(5)「狂犬病予防接種事件」

予防接種に関して、最高裁は、「狂犬病予防接種事件」においては、「狂犬病の予防接種は、その副作用として後麻痺症の発生する危険を伴うものであり(中略)苟も医師が狂犬病の予防接種を施行するに際しては、この点を慎重に考慮し、咬傷を与えた犬が狂犬の疑のあるものと判断すべき事情のある場合でない限り、安易にその施行を開始又は継続することはこれを避けなければならない義務がある」として医師側の責任を肯定した控訴審判決を支持した。そして、同義務の前提としては「狂犬病の予防接種は、その副作用として後麻痺症の発生する危険を伴うもの」であるとの判断があることは明らかである。

 

(6)「インフルエンザ予防接種事件」

また、「インフルエンザ予防接種事件」では、「インフルエンザ予防接種は、接種対象者の健康状態、罹患している疾病、その他身体的条件又は体質的素因により、死亡、脳炎等重大な結果をもたらす異常な副反応を起すこともあり得るから、これを実施する医師は、右のような危険を回避するため、慎重に予診を行い、かつ、当該接種対象者につき接種が必要か否かを慎重に判断し、実施規則4条所定の禁忌者を的確に識別すべき義務がある。」とし、さらに4条所定の諸事由の有無を「具体的に、かつ被質問者に的確な応答を可能ならしめるような適切な質問をする義務がある。」とした上で、「このような方法による適切な問診を尽さなかつたため」、接種対象者の異常な身体的条件及び体質的素因を認識することができず、「禁忌すべき者の識別判断を誤って予防接種を実施した場合において、予防接種の異常な副反応により接種対象者が死亡又は罹病したときには、担当医師は接種に際し右結果を予見しえたものであるのに過誤により予見しなかつたものと推定するのが相当である。」として、医師側の過失認定の前提である予見可能性を推定するとしたのである。最高裁が医療過誤訴訟において初めて「推定」という言葉を判決文において明示したものとして注目に値するが、それは、実施規則4条という法令の存在を最高裁は注目したものと思われる。そして最高裁がこのような予見可能性の推定まで認めた背景には、「インフルエンザ予防接種は、接種対象者の健康状態、罹患している疾病、その他身体的条件又は体質的素因により、死亡、脳炎等重大な結果をもたらす異常な副反応を起すこともあり得る」というインフルエンザ予防接種が本来的に有する危険性に着目しているからにほかならない。

 

(7)「痘そう予防接種事件」

そして、最高裁は、「痘そう予防接種事件」では、予防接種によって重篤な後遺障害が発生する原因としては、被接種者が「禁忌者」であること、又は、「個人的素因」の二つの場合が考えられるとし、「個人が禁忌者に該当する可能性は右の個人的素因を有する可能性よりもはるかに大きい」から、「右後遺障害が発生した場合には、当該被接種者が禁忌者に該当していたことによって右後遺障害が発生した高度の蓋然性があると考えられる。したがって、予防接種によって右後遺障害が発生した場合には、禁忌者を識別するために必要とされる予診が尽くされたが禁忌者に該当すると認められる事由を発見することができなかったこと、被接種者が右個人的素因を有していたこと等の特段の事情が認められない限り、被接種者は禁忌者に該当していたと推定するのが相当である。」とした。最高裁が医療過誤訴訟において、「推定」という言葉を用いた二番目の事例(インフルエンザ予防接種事件に続いて)であるが、「被接種者は禁忌者に該当していたと推定する」とすることによって、患者側に立証の軽減を認め、その結果、医師側に立証の加重を認めている前提として、「予防接種によって重篤な後遺障害が発生する」危険性があるという認識が存在することは明らかである。

 

(8)「薬剤能書事件」

薬剤の使用・投与に関して、最高裁は、「薬剤能書事件」では、「当該薬剤の注射がショック症状を起こしやすいものであり、右症状の発現の危険のある者を識別するには医師による患者本人及び近親者のアレルギー体質に関する適切な問診が必要であることが当時の臨床医の間で一般的に認められていた等判示の事実関係」のもとで、医師に過失を認めたものであり、その過失判断の前提として、チトクロームCの注射によりショック症状を起こしやすいという危険性が存在するという事実の認識が存在することは明らかである。

 

(9)「医薬品添付文書事件」

さらに、「医薬品添付文書事件」において、「医薬品の添付文書(能書)の記載事項は、当該医薬品の危険性(副作用等)につき最も高度な情報を有している製造業者又は輸入販売業者が、投与を受ける患者の安全を確保するために、これを使用する医師等に対して必要な情報を提供する目的で記載するものであるから、医師が医薬品を使用するに当たって右文章に記載された使用上の注意事項に従わず、それによって医療事故が発生した場合には、これに従わなかったことにつき特段の合理的理由がない限り、当該医師の過失が推定される」とし、結論として、「本件麻酔剤を使用するに当たり、能書に記載された注意事項に従わず、二分ごとの血圧測定を行わなかった過失がある」と判断した。この判決は、医療過誤訴訟の最高裁判決において「推定」という言葉を用いた3番目の事例であるが、このように過失を推定するという判断の前提となっているのは、麻酔剤(本件では「ペルカミンS」)による腰椎麻酔が本来的に、「本件麻酔剤を投与された患者は、ときにその副作用により急激な血圧低下を来し、心停止にまで至る腰麻ショックを起こす」可能性があり、その重大性に対する認識が存在することは明らかである。そして、本件の場合、そのような危険を回避するために薬剤の製造業者は「医薬品の添付文書(能書)」に必要な情報を記載しているのであり、医師はその情報を取得することが容易であったという事情があり、それにもかかわらず能書に従わないで医療事故を発生させた場合には過失が推定されるとすることを判例として示すことは不当ではないという判断のもとで、過失の推定を判決文に明言したものと解される。

 

4 最高裁の考え方

以上から、最高裁としては上記9つの事例の医療行為については、いずれも重大な結果発生の蓋然性が存在するという認識を有していると考えられ、その認識を前提として、過失の推定を認めていると考えられる。

このように過失を推定するという考え方の萌芽は、医学を履修した専門家である医師が、本来的に人体に対する侵襲そのものである医療行為を行うという「医療行為の特殊性」にもともと内包されていたと考えるべきである。人の生命・身体が保護されるべき法益である以上、侵襲そのものである医療行為に携わる医師に高度の注意義務が課され、医療事故が発生した場合には、その「医療行為の特殊性」(注1)からして過失が推定されると考えるのである。

最高裁も、「いやしくも人の生命及び健康を管理すべき業務(医業)に従事する者は、その業務の性質に照し、危険防止のために実験上必要とされる最善の注意義務を要求されるのは、已むを得ないところといわざるを得ない。」(輸血梅毒感染事件上告審判決)と判断している。そのような判断を下したことからしても、過失を推定する方向での解決が予想されていたと見るべきであろう。

「注射化膿事件」「消毒不完全事件」の最高裁判決が表見証明を認めた判例であるとする中野教授(注2)は、「表見証明が認められるためには、一定の場合に必要な注意を欠いてかくかくの行為に出れば、ほとんどすべての場合にこういう損害が生ずる、というティピカルな現実経験の集積―ドイツの理論にいう『定型的事象経過』―に裏付けられた強力な蓋然性をもつ経験原則の存在が前提となるが、注射のあとの化膿とか、手術を受けた患者の体内への異物の遺留といった比較的単純な場合以外にはたしてどれだけ経験原則を利用できる場合があるのだろうか。」と指摘し、「注射化膿事件」「消毒不完全事件」以外に、表見証明の適用の可能性に疑問を呈しているようであるが、上記9つの事件の内、「注射化膿事件」「消毒不完全事件」の他の7つの事件は、中野教授の言う「ティピカルな現実経験の集積―ドイツの理論にいう『定型的事象経過』―に裏付けられた強力な蓋然性をもつ経験原則の存在が前提」となっている事例であると理解することができるのではないかと思う。

要は、当該『推定』を支える「強力な蓋然性をもつ経験原則の存在」するかどうかであり、それを言い換えるならば「科学的合理性」に裏打ちされた経験原則であるかどうかであろう。そして科学的合理性が存在するかどうかは、「その経験則(もしくは経験原則)を構成する具体的内容もしくは条件のいずれを採択し、いずれを排斥するかという点に」(注3)関する科学的合理性であって、その科学的合理性は判決中に示されることによって説得力を持ち、判例の集積に役立つことになる。今後は、下級審において集積された裁判例から、「強力な蓋然性をもつ経験原則」を抽出する作業が必要となると思われる。

なお、ここで「侵襲そのものである医療行為」による医療事故という場合には、適切な医療行為を適切な時期にしなかったといういわゆる不作為による医療事故は含まれない。不作為による医療事故の場合には、過失の推定がなされるかどうかについては、後に更に検討することになる。

(注1)本稿の第1章「医療行為の特殊性」参照

(注2)中野貞一郎「医療裁判における証明責任」ジュリ548号・310頁

(注3)松倉『医学と法律の間』63頁