コラム
2023.04.04
医事法講座第12回≪医療水準論⑴【医療水準とは何ですか?】≫
弁護士 崔 信義(さいのぶよし/崔信義法律事務所)Ph.D.
□博士(法学)
□放射線取扱主任者(第1種免状,第2種免状)
□毒物劇物取扱責任者(一般)
□火薬類取扱保安責任者(甲種免状)
□エックス線作業主任者免許
□ガンマ線透過写真撮影作業主任者免許
□一般財団法人 日本国際飢餓対策機構(理事)
□社会福祉法人 キングスガーデン三重(評議員)
医事法講座第12回≪医療水準論⑴【医療水準とは何ですか?】≫
医療水準論に関して,以下の順序で検討する予定である。今回は,第1章をアップロードします。
第1章 総論
第2章 医療水準に関する判例
第1節 昭和50年代の最高裁判決
1 長崎市民病院事件(昭和54年11月13日最三判)
2 日赤高山病院事件(昭和57年3月30日最三判)
3 未熟児網膜症における医療水準論の背景
4 長崎市民病院事件の意義
5 日赤高山病院事件の意義
6 「医学水準」という概念の限界
7 新小倉病院事件(昭和57年7月20日最三判)
第2節 昭和60年代の最高裁判決
1 南大阪病院事件(昭和60年3月26日最三判)
2 坂出市立病院事件(昭和61年5月30日最二判)
3 八幡病院事件(昭和63年1月19日最三判)
4 伊藤正己裁判官の補足意見
5 名古屋掖済会病院事件(昭和63年3月31日最一判)
第3節 平成年代の最高裁判決
1 山田赤十字病院事件(平成4年6月8日最二判)
2 姫路日赤事件(平成7年6月9日最二判)
3 差戻審(平成9年12月4日大阪高判)
第3章 医療水準の規範化
「第1章 総論」の細目は以下のとおりです。
1 医療水準論とは
2 未熟児網膜症
3 未熟児網膜症の特殊性
4 未熟児網膜症裁判
5 事件
6 争点
第1章 総論
1 医療水準論とは
医療水準を巡る法律的議論を医療水準論というが、本稿において「医療水準」とは、これから検討することになる未熟児網膜症に関する昭和63年1月19日最高裁判所判決の伊藤正己裁判官の補足意見を参照して次のように定義したい。
医療水準とは、特定の疾病に対する診療に当たった医師の注意義務の基準となるものであり、専門家としての相応の能力を備えた医師が研さん義務を尽くし、転医勧告義務をも前提とした場合に達せられるあるべき水準である。すなわち、人の生命および健康を管理すべき業務に従事する医師は、その業務の性質に照らし、危険防止のために実験上必要とされる最善の注意義務を要求される(昭和36年2月16日最一判・民集15巻2号244頁参照)が、同義務を果たすために、医師は絶えず研さんし、新しい治療法についてもその知識を得る努力をする義務(以下「研さん義務」という。)を負っており、自ら適切な診療をすることができないときには、患者に対して適当な診療機関に転医すべき旨を説明し、勧告すれば足りる場合があり、また、そうする義務(以下「転医勧告義務」という。)を負う場合も考えられる。その場合の義務が達せられるべき基準を医療水準という。
医師の注意義務の基準であるところの「医療水準」という言葉が最高裁判所の判決中に最初に登場したのは昭和57年3月30日第三小法廷判決(「日赤高山病院事件」)においてである。もちろん、それまでにも最高裁は、医療事件において医師の過失について判断してきた。既に論じたように、注射化膿事件(昭和32年5月10日最二判)、輸血梅毒感染事件(昭和36年2月16日最一判)、消毒不完全事件(昭和39年7月28日最三判)、狂犬病予防接種(昭和39年11月24日最三判)、水虫治療事件(昭和44年2月6日最一判)、ルンバール事件(昭和50年10月24日最二判)、インフルエンザ予防接種事件(昭和51年9月30日最一判)等々である。これらの事件においても、最高裁判決は医師の注意義務に関して論じてきたのであるが、昭和57年3月30日の前記判決以降、最高裁は「医療水準」という言葉を使用することになったのである。
そこで、最高裁は、従来から論じてきた医師の注意義務の基準とは異なる意味で、「医療水準」という用語を使用しているのであろうか、それとも同じ意味なのであろうか。「医療水準」という言葉に込められている意味を探り、医療水準という言葉が使用されるべき範囲をあらためて明確にし、今後の医療水準という言葉が働く方向を見据えていこうとするのが本稿の目的である。
2 未熟児網膜症
医療水準は、いわゆる未熟児網膜症裁判を通して議論されてきた。
未熟児網膜症(後水晶体繊維増殖症(Retrolental Fibroplasia.以下「本症」という。)とは、在胎32週未満、出生体重1600グラム以下の未熟児に多く発生する未熟な網膜に起こる血管の増殖性変化を本態とする疾病であり、最悪の場合には、網膜剥離から失明に至る。患児の網膜血管の発達の未熟性を基盤とし、酸素投与が引き金となって発症することがあることは否定できないとされ、その正確な発症機序についてはいまだに不明である。
一般に、未熟児保育に関しては次のようにいわれている。
出生体重1500グラム以下の極小未熟児は、身体各部の機能が満期出産児に比して極端に未熟であり、突発性呼吸窮迫や無呼吸発作の症状を起こしやすく、そのため酸素欠乏による脳性麻痺などの脳障害を生じやすいうえに死亡率が高いから、未熟児としての出生自体を重症患者ととらえ、救命を第一義とすべきである。そして未熟児に加える検温、沐浴、おしめの交換等の処置操作は、児の疲労、体温の喪失及び障害の発生等を防ぐため、必要最小限に止めるべきである。未熟児の体温は概ね36度に保持するのが理想的であり、これに近づけるために児の体重に応じて、保育器内の温度を30ないし34度、湿度を60ないし70%にするが、これは大体の目安であって、個別的には児の状態に応じて医師の臨床的判断によって決定する。未熟児にとっては、過剰栄養の方が栄養不足より危険性が高いから、特に低出生体重児に対しては、比較的長期にわたる飢餓期間(1000グラム以下は3ないし4日、1500グラム以下は2ないし3日)を置いて授乳を開始し、その後の増量も慎重に徐々に行うことが原則である。一応の目安はあるが、児の状態に応じて医師の裁量で増減する。
酸素の投与については、脳障害、頭蓋内出血等を予防するために、チアノーゼや呼吸困難を示す児に対しては酸素を投与するとされている。その際、本症の発症を防ぐためその濃度は40%を超えないようにする(但し、右の症状が改善されないときは、40%を超える濃度の酸素を投与してもよい。)投与を中止するときは濃度を徐々に下げるようにする。また、チアノーゼ等の症状が認められなくても、未熟児は酸素の摂取が不良であるから、常例的に酸素を投与することもある。この場合濃度は30%以下に止め、投与期間はなるべく短い方がよい。この期間については確立した基準はなく、児の状態に応じ医師の臨床的判断によって決定する。
さらに、本症に関しては、「オーエンスの分類法」という分類法がある。昭和30年までに確立した分類法であって、本症の臨床経過を、活動期、寛解期及び瘢痕期の三期に分けるものである。昭和46年ころから、本症の病態についての研究がすすみ、同分類に修正が加えられ、さらに急激に進行する激症型の存在も確認されるに至っている。
本症の治療法の一つとして、「光凝固法」という治療法が存在する。これは、眼底網膜上に焦点を置いて光を集束し、その熱によって網膜の患部(蛋白質)を凝固する治療であり、いわば網膜の患部部分を焼毀破壊することによって病勢の進行を抑止する治療法である。本症に関しては、
本症に関して厚生省は、昭和49年、診断と治療に関する統一的基準を定めることを主たる目的として、主任を慶応大学医学部眼科植村教授として本症の指導的研究者らによる研究班を組織した。この厚生省研究班は、昭和50年3月、当時における研究成果を整理し、最大公約数的な診断基準となるもの(以下「厚生省研究班報告」という。)を作成発表し、同年8月、雑誌「日本の眼科」46巻8号に掲載された。
同報告は、本症を、主に耳側周辺に増殖性変化を起こし、活動期の経過が比較的緩徐で自然治癒傾向の強いI型と、主に極小低体重児の未熟性の強い眼に起こり、初発症状から急速に網膜剥離に進むⅡ型に大別し、そのほかに両者の混合型もあるとした上、進行性の本症活動期病変に対して適切な時期に行われた光凝固法が本症の治療法として有効であることが経験上認められるとして、I型については、活動期の三期に入り、更に進行の徴候があることを見極めて凝固治療をすべきであり、Ⅱ型については、血管新生期から突然網膜剥離を起こすことが多いので、治療の決断を早期に下さなければならず、無血管領域が広く全周に及ぶ症例では、血管新生と滲出性変化が起こり始め、後極部血管の紆曲怒張が増殖する徴候が見えたら直ちに凝固治療をすべきであるなど光凝固法の適応・適期・方法などについて一応の治療基準を示したものである(平成7年6月9日最二判から)。
3 未熟児網膜症の特殊性
昭和45年、前記植村教授は、「未熟児網膜症の正しい認識が一般に与えられず、医師の中にも未だ酸素過剰の医療過誤のごとき誤った概念を持つものがあることは、はなはだ遺憾にたえない。網膜症は未熟児哺育の施設の完備し、その生存率の高い施設に多く出るものであり、施設の不備で生存率の低い所には少ないことは米国でもわが国でも同様である(注)。未熟児の酸素療法は、竹内の指摘するごとく、生か死か、能か眼か、という三つの重大な問題をかかえているのであり、わが国でも米国におけるごとく、未熟児の酸素療法を主題にした関連各科の基礎的・臨床的な共同研究体制が一日も早くできることを望むものである・・・」、さらに、昭和46年同教授は「現時点においては、未熟児網膜症の確実な予防あるいは治療方法はない、これを予防するには、未熟児となることを避ける以外にはない」と前記植村教授も指摘するところであり(判時878号41頁)、デリケートな問題であることを教えている。
(注)田上富信・判評230号19頁は、「未熟児網膜症の罹患が保育器内の酸素投与によって重大な影響を受けているとすると、同症による失明事故は、いわば低体重未熟児の生存率の向上と引換えに生じた『進歩する医療の副産物』といえるだろう。」とする。
4 未熟児網膜症裁判
本稿は、未熟児網膜症裁判をとおして、最高裁判所がどのようにして医療水準という概念を展開してきたかを検討するものであるから、対象とする裁判例は、未熟児網膜症に関する最高裁判決とその下級審判決である。
裁判例を判決の年月日順に挙げると以下のとおりとなる。
最高裁判決が9個、下級審判決を併せると28個である。「医療水準」という概念が審級を経てどのように最高裁の判断として形成されていったかが本稿の目的であるから、検討の対象としては、一応最高裁判決とその下級審判決に限定することにしたのである。なお、判決に大きな影響を与えた論文及び厚生省研究班報告も同時に挿入した。
次の年月日は、判決又は論文・報告の発表日を示す。括弧内は、事件名を示す。同事件の第一審から最高裁まで同じ事件名を付し、被告となった病院名を事件名として使用した。
5 事件
昭和49年 3月25日 岐阜地裁(日赤高山病院事件)
昭和49年 6月26日 長崎地裁(長崎市民病院事件)
昭和49年11月 松倉豊治「未熟児網膜症による失明事例といわゆる『現代医学の水準』」判タ311号61頁
厚生省は昭和49年、本症の診断と治療に関する統一的基準を定めることを主たる目的として慶応大学医学部眼科植村教授及び本症の指導的研究者らによる研究班を組織。
昭和50年 3月 厚生省研究班報告発表。
昭和50年 8月 同報告が医学雑誌「日本の眼科」46巻8号に掲載。
昭和52年 5月17日 福岡高裁(長崎市民病院事件)
昭和53年 2月 9日 福岡地裁小倉支部(新小倉病院事件)
昭和53年 3月31日 高松地裁丸亀支部(坂出市立病院事件)
昭和53年10月 3日 福岡地裁小倉支部(八幡病院事件)
昭和54年 9月21日 名古屋高裁(日赤高山病院事件)
昭和54年11月13日 最三判(長崎市民病院事件)
昭和55年 2月28日 福岡高裁(新小倉病院事件)
昭和55年 6月25日 名古屋地裁(名古屋掖済会病院事件)
昭和55年12月20日 大阪地裁(南大阪病院事件)
昭和56年 6月18日 津地裁(山田赤十字病院事件)
昭和57年 3月30日 最三判(日赤高山病院事件)
昭和57年 6月21日 福岡高裁(八幡病院事件)
昭和57年 6月25日 大阪高裁(南大阪病院事件)
昭和57年 7月20日 最三判(新小倉病院事件)
昭和57年 9月29日 名古屋高裁(名古屋掖済会病院事件)
昭和58年 3月22日 高松高裁(坂出市立病院事件)
昭和60年 3月26日 最三判(南大阪病院事件)
昭和61年 5月30日 最二判(坂出市立病院事件)
昭和61年12月26日 名古屋高裁(山田赤十字病院事件)
昭和63年 1月19日 最三判(八幡病院事件)
昭和63年 3月31日 最一判(名古屋掖済会病院事件)
昭和63年 7月14日 神戸地裁(姫路日赤事件)
平成 3年 9月24日 大阪高裁(姫路日赤事件)
平成 4年 6月 8日 最二判(山田赤十字病院事件)
平成 7年 6月 9日 最二判(姫路日赤事件)
平成 9年12月 4日 大阪高裁(姫路日赤事件、差戻審)
6 争点
上記未熟児網膜症裁判は、医師の側に酸素管理義務、眼底検査義務、治療義務、転医勧告義務、説明義務等の各義務違反があったかという争点を中心にして争われた。以下、未熟児網膜症に関する最高裁及び下級審判決の法的判断を見ることによって、医療水準によって、最高裁は何を医療過誤訴訟において示すことになったのかを検討したい。
以上