コラム
2023.04.04
医事法講座第14回≪医療水準論⑶【日高高山病院事件】≫
弁護士 崔 信義(さいのぶよし/崔信義法律事務所)Ph.D.
□博士(法学)
□放射線取扱主任者(第1種免状,第2種免状)
□毒物劇物取扱責任者(一般)
□火薬類取扱保安責任者(甲種免状)
□エックス線作業主任者免許
□ガンマ線透過写真撮影作業主任者免許
□一般財団法人 日本国際飢餓対策機構(理事)
□社会福祉法人 キングスガーデン三重(評議員)
医事法講座第14回≪医療水準論⑶【日高高山病院事件】≫
第1節 昭和50年代の最高裁判決
2 日赤高山病院事件
本件上告審判決(注)は、医師に最善の注意義務が要求され、その注意義務の基準となるべきものが、「医療水準」であると明言し、医療水準に照らして医師の各種義務違反の有無を検討した。本件事案の概要は、次のとおりである。
(注)上告審:昭和57年3月30日最三判(集民135号563頁、判時1039号66頁、判タ468号76頁)
第一審:昭和49年3月25日岐阜地裁(判時738号39頁、判タ307号101頁)
控訴審:昭和54年9月21日名古屋高裁(判時942号21頁、判タ398号65頁)
事案
X(患児、原告・被控訴人(附帯控訴人)・上告人)は、昭和44年12月22日Y(日本赤十字社、被告・控訴人(被附帯控訴人)・被上告人)の日赤高山病院(以下「被告病院)という。)で出生。昭和45年3月16日被告病院を退院し、翌日から天理病院において光凝固法を施したが本症の進行を阻止しえず失明にいたり、同年4月14日同病院を退院した。
裁判経過
第一審:一部請求認容。
「医師は職業そのものの性質上患者の生命身体に対する危険防止のため必要とされる最善の注意義務を要求され、このことは医師を雇用して診察治療に当たらせる医療機関についても同様というべきところ、被告病院としては前記認定の如く、未熟児を哺育器に収容して酸素療法を施行すれば、当然網膜症の発生が予測できる立場にあったのであるから、Xを網膜症の被害から守るために、Xの全身管理を充分に行い、酸素の使用に充分な注意を払い、周到な眼底管理をなし網膜症の早期発見と早期治療に最善の注意をなすべき高度の注意義務が課せられている」とした。そして、「Xに対する酸素投与期間中、体重は順次増加し生命の維持に役立ったことは明らか」であるとして、本件酸素投与については何等Yに瑕疵は存在しないとした。
眼底検査については、判決はXの眼底検査は1月21日ころ可能であったと認定したうえで、2週間ほど遅れた本件眼底検査は、「当時の医学界の常識」からして手遅れとなり、さらにYの眼科医が眼底検査によってオーエンスⅡ期に入っていることが明らかであると認められるのに、オーエンス初期(Ⅰ期)の如き診断を下した誤診が相重なって早期治療を困難にし、網膜症を悪化させたとした。
ステロイドホルモンの投与についても、「かえって網膜症に対し何等かの効果があることが臨床的に認められているという事情によるものと考えるのが相当であるから、本件ステロイドホルモンの投与の遅滞もXの網膜症の悪化を招来する一因となった」と認定した。
医師法23条に関しては、眼科医において、最悪の事態を回避するためにもその説明指導には最善の注意をなすべきであったが、「かかる如き説明指導を全くなさなかったことは医師法23条に違背する所為で指導上の過失」といわざるをえないとした。
光凝固法を目的とする転院の遅れについては、判決は「天理病院への移送方法につき積極的に打合せをする等最悪の事態たる失明という結果を回避すべき義務があった」とした。そして、Yの「未だ光凝固法は医学界の常例となっておらず実験中であったから、Yに過失はない」という反論に対しては、「光凝固法の存在等に対しては学会での講演、専門誌での発表により眼科医の殆どが医学知識として有していたであろうことは推定でき少なくともそれが専門医として有すべき一般水準であり決して最高水準であるとはいえないと考えるが、仮にそれが高度な知識であるとしても、医師はその当時の医学知識、医学技術を駆使し最善適正な治療を施すべきものであるから、高度な注意義務があるものであり、しかもY病院は総合病院で且つ未熟児センターを有することからすると、その性格から当然高度な注意義務が要求される」とした(注1)(注2)(注3)。
(注1)野田寛(「未熟児網膜症損害賠償請求事件第一審判決」ジュリ567号76頁、1974・8・1)
本症に関して裁判所が判断を示したのは最初の裁判例である岐阜地裁昭和49年3月25日判決(判時738号39頁、判タ307号101頁)に関する評釈である。野田は、医師の過失判定基準としての「医療上の注意義務の基準ないし内容を求めるには、まず第1に医学(通常の医師にその当時一般に知られかつ是認されている医学すなわち医学常識)を基準として、さらに、この医学の実践(すなわち医療)に影響を与えるもの、とくに医療制度、医的慣行、地域性、緊急性、経済性なども考慮しなければならない。」とする。そして最後に、「本件は、本来ならば生存し得なかったであろうと考えられる新生児を生存せしめるに必要な医療の過程において生じた事故として、単なる医原病の問題にとどまらず、医療の根本問題にかかわるものである。」と指摘する。
(注2)日石高山病院事件の第一審判決である岐阜地裁判決(昭和49年3月25日)と長崎市民病院事件の第一審である長崎地裁判決(昭和49年6月26日)は、これ以降約30年という長期にわたる未熟網膜症に関する一連の裁判の走りとなるものである。判決の順序としては、岐阜地裁の判決が、長崎地裁の判決よりも早く出ているが、長崎地裁の場合(患児:昭和42年4月6日生)は昭和45年の事件であり、岐阜地裁の場合(患児:昭和44年12月22日生)は昭和47年であるから、実際は長崎地裁の事件が先に提起された。
(注3)遠藤賢治・別冊ジュリ50号116頁
控訴審:原判決中Yの敗訴部分を取消、Xらの請求棄却。
判決は、XがY病院において治療を受けた昭和45年初め頃の、日本の医学界並びに臨床医の間で唱道実施されていた治療法を検討したうえで、「本件事故発生当時において、本症の患児に対しステロイドホルモン剤の投与を指示することは眼科医としては極めて常識的な処置に属するものであったということができるとしても、本症に対する右薬剤治療につき殆ど積極的評価の与えられていない今日の時点においては、Xの本症の病変進行を阻止するためY医師としてはもっと早期にステロイドホルモン剤の投与を指示すべきであったかどうかにつきこれを詮索することは、同医師の診療上の過失を認定するうえでは、もはや意味がない」とした。
そして、光凝固法の有効性に関して臨床眼科学会での報告等により検討し、「なお検討すべき問題を多く包蔵しているとはいうものの、その有効性については医学界並びに臨床医家の間に確認されている」とし、続いて光凝固法の普及度について論じる。この普及度に関する判断が第一審判決には無かった部分である。
第一審判決では、「X出生当時光凝固法の存在に対しては眼科医一般は知識を有していたといってよく、又、天理病院においては当時光凝固法は最早実験段階を脱却し治療法として確実性を有するに至っていたといってよく、その旨Y医師も認識していた筈である。」として、光凝固法に対する認識を有していれば天理病院への転院義務を認めるとの趣旨であったと思われる。しかし、控訴審においては、光凝固法の認識だけでは足りず、さらに本件当時(昭和45年初め)光凝固法が眼科医一般に如何なる程度に普及していたかを究明したのである。眼科学会の雑誌等、学会での報告等を詳細に検討した結果、判決は「昭和44年末ないし昭和45年初めにおいては、光凝固法は、本症についての先駆的研究家の間で漸く実験的に試みられ始めたという状況であったにすぎず、況して、一般の眼科臨床家の間においては、本症並びにその治療法につき特別の関心を抱いていた者を除いては、右治療法に関する正確な知識は殆ど普及していなかったことが推認される。」とし、結論として一般眼科の診療にしていた従事していたY医師に光凝固法のための転医の指示をしなかったとしても責められる筋合いは無いとした。
療養方法等指導義務違背について判決は、「医師が患者に対して負うべき診療上の義務としては、当該医師が標榜する専門診療科目について臨床医が一般的に採用している医療方法に準拠すれば足りるのであって(もっとも、当該臨床医の専門性、地域性、医療施設の充実度等により医療方法等に若干の差異のあることはしばらくおく。)当該専門医学界において発表されたが、なお学界並びに臨床医家の間にひろく支持をうけるに至っていないような新規開発にかかる治療方法の如きは、医師はこれを担当する患者に対して実施することはもとより、右新規治療方法の存在することを患者に告知する義務もないと解するのが相当である。」とした。この判断の前提となっているのは、「臨床医が一般的に採用している医療方法」と「新規開発にかかる治療方法」とを概念的に区別する考え方である。「新規開発にかかる治療方法」が医学界において発表され、学界、臨床医家に支持を受けて、「臨床医が一般的に採用している医療方法」にまで到達するためには時間的間隔が必要であると認識しているのである(注)。
(注)平成7年6月9日最二判(民集49巻6号1499頁)は、「新規の治療法が開発され、それが各種の医療機関に浸透するまでの過程」について論じているが、本件判決の上記認識は、平成7年6月9日最二判に至る萌芽となる判断であるとの評価が可能である。
上告審:上告棄却。
Xの上告代理人は、「ステロイド・ホルモン本来の働きから、網膜血管の増殖、新生に対する抑制作用があるほか、網膜の炎症、滲出、出血を抑え、浮腫をとるという、本症治療に対しては、まことにうってつけの作用効果がある」にもかかわらず、控訴審判決は「今日では『殆ど積極的評価の与えられていない』ものとか、現時点では『殆ど無効と評価されている』ものと認定している」(集民135号581頁)と主張したが、最高裁は、「ステロイドホルモン剤投与の時期が遅きに失したか否かについて論ずるまでもなく、右の点に関する同医師の診療上の過失責任を認めなかった原審の判断は、正当」とした。
(注)上告代理人は、ステロイドホルモン剤の作用効果を肯定的にとらえたのに対し、控訴審判決は否定的に考えた。このような対立は、高度の科学的・技術的知識を要求される科学裁判といわれるものに常に付きまとう難問であり、科学的検討が要求される事項に対して、限られた範囲での情報と知識と時間の中で判断を要求されている裁判所が持っている本質的限界と言わざるを得ないと思われる。そもそも科学的に複数の意見が存在している場合に、裁判所として、判断を下さなければならないのであろうかが問題である。多数の科学的意見の中である一つの意見を裁判所が認定することによって、当該科学的意見を公権的に認定してしまうということになるが、これは何か他の複雑な問題が提起される可能性はないのか。慎重な議論が必要と思われる。
判決は、「Xの診療に当たっていた昭和45年初めにおいては、光凝固法は、本症についての先駆的研究家の間で漸く実験的に試みられ始めたという状況であって、一般臨床眼科医はもとより、医療施設の相当完備した総合病院ないし大学病院においても光凝固治療を一般的に実施することができる状態ではなく、患児を光凝固治療の実施可能な医療施設へ転医させるにしても、転医の時期を的確に判断することを一般的期待することは無理な状況であった。」とし、説明指導及び転医指示は未だ医療水準になっていなかったという理由で、同義務違反を認めなかったのである(注1)(注2)。
(注1)なお、上告理由は、「Y医師がX失明の危険を予測したという委任事務処理上まことに重大な事態の発生した2月27日にはおそくとも、Y医師らはXらに対し率直にXの本症の事実、悪化の傾向、失明の危険性並びに光凝固法の症例報告の事実、いまや確実な治療手段との学会発表等々のことを説明し、Xらに対しその自由な意思により光凝固法を選択するか否かの適正な自己決定権の行使をさせるべき診療契約上の義務があったにも拘らず、これを怠った」という主張(集民135号596頁)をしているが、このような主張に対して、上告審判決も光凝固法が未だ医療水準ではなかったという理由で排斥している。
この問題は、説明義務の問題であるが、説明義務と医療水準との関係については、乳がん説明義務事件において最高裁判決は、医療水準として未確立の療法について一定の条件のもとで当該「療法を実施している医療機関の名称や所在をその知る範囲で説明すべき診療契約上の義務がある。」(平成13年11月27日最三判民集55巻6号1154頁)とした。本件の日赤高山病院事件上告審判決が、光凝固治療が医療水準になかったという理由で、「患児を光凝固治療の実施可能な医療施設へ転医させるにしても、転医の時期を的確に判断することを一般的期待することは無理な状況であった。」という理由で説明義務が無いとしたことは、前記乳がん説明義務事件最高裁判決とどのように整合するのかは、検討の余地がある。
(注2)田上富信・法時52巻9号125頁は、「本症に関する他の判例をみてみると、一般に、患児を転送する義務と光凝固法についての説明義務を区別することができる。患児の転送義務は実践的な医療水準の範囲内においてだけ認められ、たまたま光凝固法という特殊療法を開発している医療施設があるというだけでは生じないであろう。しかし、説明義務は、実践的な医療水準に達していない段階でも認められる。」として、本件第一審判決を支持する。
検討
本件判決は、最高裁として初めて医療水準について論及し、「人の生命及び健康を管理すべき業務に従事する者は、その業務の性質に照らし、危険防止のため実験上必要とされる最善の注意義務を要求されるが(昭和36年2月16日最一判民集15巻2号244頁)、右注意義務の基準となるべきものは、診療当時のいわゆる臨床医学の実践における医療水準である」とし、注意義務の基準は医学水準ではなく医療水準であると判断した。
以上