コラム

2023.04.24

医事法講座第16回≪医療水準論⑸【長崎市民病院事件の意義】≫

弁護士 崔 信義(さいのぶよし/崔信義法律事務所)Ph.D.

□博士(法学)

□放射線取扱主任者(第1種免状,第2種免状)

□毒物劇物取扱責任者(一般)

□火薬類取扱保安責任者(甲種免状)

□エックス線作業主任者免許

□ガンマ線透過写真撮影作業主任者免許

□一般財団法人 日本国際飢餓対策機構(理事)

□社会福祉法人 キングスガーデン三重(評議員)


医事法講座第16回≪医療水準論⑸【長崎市民病院事件の意義】≫

第1節 昭和50年代の最高裁判決

4 長崎市民病院事件の意義

長崎市民病院事件第一審判決は原告の請求を棄却し、他方、日赤高山病院事件第一審判決は一部ながらも請求を認容した。その違いは、医師の注意義務の基準の捉え方の違いにある。

長崎市民病院事件第一審判決においては、医師の過失を論じる前提としての注意義務の基準につき、同事件の原告側は「広く日本の医学水準を基準に判断すべきである。」と主張したのに対し、同判決は「当時の医学水準」「当該医師のおかれている社会的地域的環境」「医療行為そのものに内在する特異な性格」などを綜合的に考慮して決すべきとした。他方、本件日赤高山病院事件第一審判決は、被告病院は「より高度な医療知識および医療技術と、これに伴うより高度な注意義務が要求され」、未熟児センターの眼科医としては「より高度な医療知識、医療技術の習得が要求される」という考え方を採用し、被告側医師の過失を認定したのである。

両判決の間には、医師の注意義務の基準の捉え方に相違があるが、その相違が「医学水準」と「医療水準」ということばを対比しながら論じられるようになったのは、昭和52年5月17日福岡高判(判時860号22頁)からである。

福岡高裁判決は、長崎市民病院事件の控訴審であり、同地裁判決のおよそ3年後に言い渡されている。その3年間において、「未熟児網膜症による失明事例といわゆる『現代医学の水準』」という松倉論文(判タ311号61頁、昭和49年11月)が発表され、他方、昭和50年8月厚生省研究班報告(注)が医学雑誌(「日本の眼科」46巻8号)に掲載されるに至った。したがって、同福岡高裁判決(昭和52年5月17日)は、松倉論文と厚生省研究班報告に接した当事者からの主張を前提として判断されていると理解される。

(注)厚生省は、本症の診断と治療に関する統一的基準を定めることを主たる目的として主任を慶応大学医学部眼科の植村教授として本症の指導的研究者らによる研究班を組織し、昭和50年3月同研究会は、厚生省研究班報告を発表し、昭和50年8月同報告が医学雑誌(「日本の眼科」46巻8号)に掲載されるに至った。

同福岡高裁における審理においては、病院側は、医師の注意義務について、「医師が具えるべき学問的、技術的能力の一般水準を基準として判断すべきである。一般的医学水準は、『学問としての医学水準』と『実践としての医療水準』とに分けることができ、前者は将来において一般化すべき目標のもとに現に重ねつつある基礎研究水準であり、後者は現に一般普遍化した医療としての現在の実施目標ということができ、前記判断基準は右の後者の水準を基準とすべきである。」(同福岡高裁判決中の事実判時860号27頁)と主張した。この点に関し前記松倉論文も、「学問としての医学水準は“将来において一般化すべき目標の下に現に重ねつつある基本的研究水準”であり、実践としての医療水準は“現に一般化した医療としての現在の実施目標”といえるであろう。」と説明している(判タ311号64頁)。そして、結論として同福岡高裁判決は、患児側の請求を棄却した長崎地裁判決を維持し控訴を棄却したのである。

患者側は、上告理由において同福岡高裁判決で用いている医学水準の概念が明確でないということを主張した。これに対して判断を下したのが、長崎市民病院事件上告審判決である。同判決は、医師の患児に対して施した「予防ないし治療の方法は、当時における本症に関する学術上の見解や臨床上の知見として一般に受容されていたところにほぼ従っておこなわれたものであって当時の医学水準に適合したもの」として上告を棄却した。最高裁は、「学術上の見解や臨床上の知見として一般に受容されていたところ」といっており、注意義務の基準について医学水準と医療水準の両方の側面を考慮に入れているようにも見えるが、医学水準に関しては最高裁の判断を示さなかったと解するのが自然であろう。医学水準に関する最高裁の見解は、日赤高山病院事件判決上告審判決(昭和57年3月30日)に持ち越されたと解すべきである。

以上