コラム

2023.04.24

医事法講座第17回≪医療水準論⑹【日赤高山病院事件の意義】≫

弁護士 崔 信義(さいのぶよし/崔信義法律事務所)Ph.D.

□博士(法学)

□放射線取扱主任者(第1種免状,第2種免状)

□毒物劇物取扱責任者(一般)

□火薬類取扱保安責任者(甲種免状)

□エックス線作業主任者免許

□ガンマ線透過写真撮影作業主任者免許

□一般財団法人 日本国際飢餓対策機構(理事)

□社会福祉法人 キングスガーデン三重(評議員)


医事法講座第17回≪医療水準論⑹【日赤高山病院事件の意義】≫

第1節 昭和50年代の最高裁判決

5 日赤高山病院事件の意義

日赤高山病院事件第一審岐阜地裁判決は、「光凝固法の存在等に対しては学会での講演、専門誌での発表により眼科医の殆どが医学知識として有していたであろうことは推定でき少なくともそれが専門医として有すべき一般水準」であるとして医師側の過失を認める方向にあったが、控訴審である名古屋高裁判決においては、医師の注意義務の基準に関しては特別に触れることなしに医師側の過失をすべて否定した。

第一審判決と比較して控訴審判決に特徴的なことは、光凝固法の「有効性については医学界並びに臨床医家の間に確認されている」としながら、続いて光凝固法の普及度について論じた点である(注)。普及度に関する判断は第一審判決には無かった部分であるが、控訴審判決では、「一般の眼科臨床家の間においては、本症並びにその治療法につき特別の関心を抱いていた者を除いては、右治療法に関する正確な知識は殆ど普及していなかったことが推認される。」とし、結論として医師側の過失を全て否定した。

(注)「普及度」について論じているのは、姫路日赤事件上告審判決(平成7年6月9日)においてである。同判決において、医療水準になっているかどうかの判断基準としての「普及度」を論じているが、そこでは、「右治療法に関する知見が当該医療機関と類似の特性を備えた医療機関に相当程度普及して」いる場合に、医療水準となるとしており、「普及度」が医療水準の存否に関する一つの判断材料として、いわゆる医療水準の存否を認定する際の間接事実としての役割を果たすことになった。

しかし、問題は「普及度」の認定方法である。本件(日赤高山病院事件)の控訴審判決は、「普及度」の存否を認定するために、殆どが文献(医学専門諸、論文、講演等)によって報告された内容を検討して認定する手法を採用しており、姫路日赤事件差戻審判決(平成9年12月4日大阪高裁判決)が、具体的に兵庫県下の主な公立病院を対象として「普及度」を認定した手法とは全く異なるのである。したがって、本件(日赤高山病院事件)の控訴審判決で言及している「普及度」という概念が、姫路日赤上告審判決に引き継がれているとまで考えることは、無理があるようである。

以上のように、本件(日赤高山病院事件)の第一審判決と控訴審判決は、控訴審判決が「普及度」という点に論及している点で若干異なるものの、光凝固法に関する知識が殆ど普及されていないことを認定し、光凝固法のための転医義務を否定し、医師のその他の義務も否定した。本件では第一審と控訴審とで判断が異なったが、結論として最高裁は、患児側の上告を棄却し、医師の過失を否定し、控訴審判決を支持する形となったのである。

医師の注意義務に関して上告理由は、「下出医師は被上告人病院未熟児センターの眼科管理担当医師の立場にあったものであるから、一般眼科臨床医と比較して当然に、より高度な医学水準、医療水準に基づく善管注意義務が要求されるはずである。」と主張したが、最高裁は「右注意義務の基準となるべきものは、診療当時のいわゆる臨床医学の実践における医療水準である」として、医師の説明指導義務及び転医指示義務はないとした。本件判決は、最高裁が最初に「医療水準」という言葉を使用した判決として有名であるが、その最初は、医師の過失を否定する文脈で使用されたのである。

(注)山口斉昭「『医療水準論』の形成過程とその未来」早稲田法学会誌第47巻・1997年

医療水準に関する学説の議論を整理すると、医療水準の判断要素の観点から絶対説(客観説)と主観説(相対説)があり、姫路日赤事件平成7年6月9日最二判は「昭和50年線引論」を排して前記相対説を採用したという。

(注)野田寛・民商87巻4号168頁、

中谷瑾子・判評286号21頁

ところで、本件判決が示した医療水準という概念について検討する。

まず、同判決は昭和57年3月30日最高裁第三小法廷において言い渡されているが、「医療水準」という概念の中身を明らかにするためには、次の事情を考慮に入れなければならないと考える。

①        本判決は上告審判決であるから、第一審である岐阜地裁判決(昭和49年3月25日)及び控訴審である名古屋高裁判決(昭和54年9月21日)でなされた原告被告両当事者の主張立証を前提としていること、

②        第三小法廷には、当時新小倉病院事件の上告審が係属しており、第三小法廷では、本判決当時、昭和55年2月28日福岡高裁判決及び昭和53年2月9日福岡地裁小倉支部判決も審理の対象となっていたこと、

③        同じく第三小法廷では、昭和54年11月13日長崎市民病院事件上告審判決がなされており、昭和49年6月26日長崎地裁判決及び昭和52年5月17日福岡高裁判決もかつて審理したことがあること、

④        本判決は時期的に松倉論文(「未熟児網膜症による失明事例といわゆる『現代医学の水準』」判タ311号61頁・昭和49年11月)の後に出されているから、第三小法廷も当然に著明な松倉氏の同論文を念頭に置いているであろうこと、

⑤        昭和50年8月に発表掲載された厚生省研究班報告をも考慮に入れているであろうこと、

が指摘されなければならない。

第三小法廷としては、少なくとも、昭和49年3月25日岐阜地裁判決、昭和49年6月26日長崎地裁判決、昭和49年11月松倉論文、昭和50年8月厚生省研究班報告、昭和52年5月17日福岡高裁判決、昭和53年2月9日福岡地裁小倉支部判決、昭和54年9月21日名古屋高裁判決、昭和54年11月13日最三判、昭和55年2月28日福岡高裁判決等の議論を前提として本判決を出していると考えられる。そこで、以上の判決・論文・報告等をまとめることによって、本判決以前における医師の注意義務の基準に関する議論の流れを考察すると、次のようになると思われる。

医師の注意義務の基準に関して、長崎市民病院事件についていえば、患者側は、「広く日本の医学水準を基準に判断すべきである。」(長崎市民病院事件第一審)とか、「広く世界の医学水準によるべきである。」(長崎市民病院事件控訴審)とか主張したのに対し、医師側は、「当時の医学水準、当該医師のおかれている社会的地域的環境、医療行為そのものに内在する特異な性格などを綜合的に考え合わせて」決するとか(長崎市民病院事件第一審)、「『学問としての医学水準』と『実践としての医療水準』とに分ける」考え方を主張するなどし(長崎市民病院事件控訴審)、医学水準と医療水準の対立構造が意識され始めたが、上告審たる昭和54年11月13日最三判は、この問題については正面から答えることをしなかった。

また、新小倉病院事件に関していえば、患児側は、当時の未熟児網膜症に関する学会、医学文献、臨床報告等を通じて形成されていた医学の一般水準を医師の注意義務の基準とするとか(新小倉病院事件第一審)、病院側は「学問としての医学水準」と、具体的可能性のある「実践としての医療水準」とに分ける考え方(新小倉病院事件第一審における被告の主張)を主張したりしていた。

このように下級審裁判例上も、未熟児網膜症の裁判当初から、「医学水準」と「医療水準」という概念の対立を前提として論じてきたのであり、その対立の存在は明確に意識され、裁判所においても対比させて論じる傾向が定着してきたといえる。しかし、両概念が具体的にどのような差異をもたらし、あるいは、どのような関連性を有するのかは、法医学者である松倉氏の前記論文によって、初めて法律家に明確に認識されるに至ったと考えてよいと思われる。

昭和49年11月に掲載された松倉論文の「学問としての医学水準は“将来において一般化すべき目標の下に現に重ねつつある基本的研究水準”であり、実践としての医療水準は“現に一般普遍化した医療としての現在の実施目標”」(前掲松倉論文64頁)であるという指摘は、医療水準に関する殆どの論文が引用する有名な指摘であり、裁判所の傾向も、同論文の指摘に影響を受けていると思われる。同氏自身は、医学界と臨床医療の現場を熟知し、そして法医学者でもあるという識者であって、同氏の指摘は、非常に説得的である。

ただ、前記松倉論文は、「学問としての医学水準」と「実践としての医療水準」という相互関係については論じるも、「具体的には、両者ともどの程度を以って良しとする基準は容易に定められないであろう。」(前掲松倉論文65頁)とし、「いずれにせよ、一、二の学者の学説や特殊研究者の見解は、必ずしもそれを以って直ちに『水準』とはいい難く、仮にそれを一応の医学水準とはしても安易に医療水準とするというわけにはゆかないであろう。」(前掲松倉論文66頁)と締めくくる。医学水準や医療水準の訴訟上の認定方法(どのような間接事実が証明されたときに医学水準・医療水準を認定するかという問題)については何も触れていないのである。「医学水準」と「医療水準」の二つの対立した考え方が存在することは明らかであるが、いまだその中身については、裁判例・学説においても煮詰まっておらず、明確になっていない段階であるという理論状況である。このような状況のもとで、第三小法廷は日赤高山病院事件の上告審として、医療従事者の注意義務の基準を「診療当時のいわゆる臨床医学の実践における医療水準」であると判断を下したのである。

以上の理論状況を前提とした第三小法廷の判断は、判決当時においては医療水準の中身が明らかになっていない以上、どのような意味を有するのかが、ここでの問題である。

思うに、第三小法廷が医療水準に関して下した判断の意義は、第三小法廷が判断した時点において、医療水準の中身について、下級審裁判例及び法医学者を含む学説において何ら煮詰まっていなかった現状を前提とすると、医療水準が注意義務の基準となると判断したことに重きがあるのではなく、医学水準を注意義務の基準にすることを明確に拒否したという点に重きを置くべきである。換言すると、注意義務の基準としての「医学水準」を否定するという消極的意味合いにおいて「医療水準」を採用したということであり、「医学水準」を否定するために「医療水準」を支持したと言い換えてもよいと思う。いずれにしても、医療水準を採用したこと自体に特別の意義があるわけではないと考えるのが妥当である。第三小法廷としては、医学水準を注意義務の基準とした場合の不都合、特に医師に過酷な注意義務を課すことになるという意識を有していたことに加えて、第三小法廷が敢えて医学水準の採用を拒否せざるを得なかった理由について、別の観点から次に考えてみたいと思う。

以上