コラム
2023.04.24
医事法講座第18回≪医療水準論⑺【「医学水準」という概念の限界】≫
弁護士 崔 信義(さいのぶよし/崔信義法律事務所)Ph.D.
□博士(法学)
□放射線取扱主任者(第1種免状,第2種免状)
□毒物劇物取扱責任者(一般)
□火薬類取扱保安責任者(甲種免状)
□エックス線作業主任者免許
□ガンマ線透過写真撮影作業主任者免許
□一般財団法人 日本国際飢餓対策機構(理事)
□社会福祉法人 キングスガーデン三重(評議員)
医事法講座第18回≪医療水準論⑺【「医学水準」という概念の限界】≫
第1節 昭和50年代の最高裁判決
6 「医学水準」という概念の限界
(1) 流動性
医療過誤訴訟は、医療事故当時の医師の過失を裁判時(事実審口頭弁論終結時)において過失の有無を判断し、医師の責任を論じるものであるが、相当の長年月を要するという医療過誤訴訟の現状を前提とすると、医学水準を注意義務の基準とする場合には、不都合が生じることが予想される。
学問としての医学水準は、『医学の進歩』として「多くの研究段階を経て実践としての医療水準を形成する」が、しかし、常にそうなるとは限らない。医学水準が医療水準に「移行又は発展しないままに終わることもあれば、一旦は後者の段階にまで普遍化したものの、やがて又前者を承継する新しい学問研究の進展によって実践としての医療水準が否定され、時にはその基礎なった医学水準さへ打ち破られることもある。」(前記松倉論文65頁。)したがって、「医学水準は高いレベルにあるがなお流動的なものであり、医療水準は、これも相当高いレベルにあるが同時にある程度普遍化しほぼ定着したものである。」(前記松倉論文65頁)。
このように流動的性質を有する医学水準という概念を過失の基準とすることは、裁判上不都合を生じる可能性が指摘される。
医学水準を注意義務の基準とする見解によれば、裁判時(口頭弁論終結時)においては医学水準と評価できるものでも、流動性ゆえに、後において医学水準が否定される場合も想定されえるのであって、その場合の医師の過失はどのようになるのであろうか。
実際に、このような危惧は、ステロイドホルモン剤に関して、日赤高山事件控訴審判決においても現実化した。同判決は、「本件事故発生当時において、本症の患児に対しステロイドホルモン剤の投与を指示することは眼科医としては極めて常識的な処置に属するものであったということができるとしても、本症に対する右薬剤治療につき殆ど積極的評価の与えられていない今日の時点においては、Xの本症の病変進行を阻止するためY医師としてはもっと早期にステロイドホルモン剤の投与を指示すべきであったかどうかにつきこれを詮索することは、同医師の診療上の過失を認定するうえでは、もはや意味がない」としたのである。「本症の患児に対しステロイドホルモン剤の投与を指示することは眼科医としては極めて常識的な処置に属するものであった」と評価していることからすると、同判決は、ステロイドホルモン剤の投与が診療行為当時は医学水準であったとの認識を有しているようにも受け取れるが、結局のところ「本症に対する右薬剤治療につき殆ど積極的評価の与えられていない今日の時点においては」、医師の過失を認定するうえでは意味がないとしたのである。
このように、医療行為当時は医学水準が肯定されていたが、裁判時において医学水準が否定されている場合の解決はどのようにすればよいのであろうか。もし、同判決のように裁判時において医学水準が否定されている場合には、過失が否定されるということであれば、医療訴訟の長期化という現状の傾向からすると、長期化すればする程、裁判時になって過失が否定されるという事態が生じる可能性を否定できないのであって、このような場合に、どのように考えるべきかという新たな問題が提起される。結局、流動的な医学水準を注意義務の基準とすることから招来される困難な問題である。
勿論、医療水準を注意義務の基準として設定した場合でも、診療行為当時には医療水準とされていたものが、後に医療水準を否定される場合も想定されえる。しかし、「幾多の学界多方面での研究、討議、追試等が重ねられてようやくある程度の方向づけがなされた段階で始めて医学水準といわれるものが自づから形成され、続いてその実践に関わる施設や技術に関する研究や臨床経験の積み重ねによって、やがて一般普遍化した医療水準に到達する」(前記松倉論文64頁)のであり、医学水準と比較しても医療水準はある程度普遍化しほぼ定着したものであり、安定性は否定できない。したがって、注意義務の基準として医学水準か医療水準かのどちらかを選択するかという二者択一の問題設定で考えるならば、医療水準を選択する方が、流動性から生じる問題の発生は相対的に低いと考えられるのである。
相対的に医学水準よりは安定的だとしても、医療水準を採用した場合も、流動性の問題は避けて通れない。しかし、医療水準も本来は、医学を基礎においているのであるから、むしろ「医学の進歩とは試行錯誤の積み重ねである」という科学そのものに内在する宿命として受け入れるしかないであろう。そして、医師が、医療水準として認められていた医療行為を施さなかった場合、裁判時において当該医療水準が否定されたときは、当該医師は、行為時において当該医療水準を満たす医療行為を施さなかったという理由で過失を認定することはできないと解するべきであろう。この場合、医師の過失行為の違法性が阻却されると解すべきである(注)。
(注)中谷瑾子・判評286号23頁は、次のように指摘する。
「医療水準を考えるにあたっては、次のような特殊な事情が存在する。
医療事故訴訟の審理日数が長期化する傾向のあること、最近の医学の進歩の速度が著しいことから、医療行為時における医療水準と判断時=口頭弁論終結時における医療水準との間に非常な差異を生ずることがままあるということである。判断基準時としては、もとより行為時が原則とされるべきであるが、その後における医学の進歩も考慮に入れなければ、判決時の医学的判断としては、科学的に耐えがたい結論になりかねないからである。」
饗庭忠雄・判タ415号56頁は、医療水準を考えるにあたっての特殊事情として次のように指摘する。
「行為時における一般的医療水準と、事実審終結時におけるそれとの間に非常なる差異が生ずる、ということである。基準としては、あくまで行為時が判断基準とされようが、その後における医学の進歩も考慮のうちに入れなければ、判決時の医学的判断としては認めがたい結論となるからである。」
(2)事実認定の観点から
また、医学水準を事実認定の対象とすることは、法廷の場に科学論争を持ち込むことになりかねない。科学論争は、科学者の論文、発表、講演等によって戦わされる。しかし、医学水準を事実認定の対象とすることは、対立している科学的見解が存する場合に、どちらが正しいかという判断を裁判所が要求されることになるが、このような判断は裁判官にとって可能なのであろうか。
これに対し、医療水準を注意義務の基準とする場合には、臨床の現場において実際に施行されている医療行為を間接事実として認定し、経験則を頼りにしながら医療水準を認定するという手法をとることが可能となるのであり、この手法は裁判官の得意とする分野であり、いわば現行の裁判手続に馴染みやすいといえる。
また、医学水準を注意義務の基準とした場合の特殊性は、判決の中の医学水準に関する記述を見ることにより明らかになると思う。そこで、本判決以前の下級審判決を見てみる。
a 日赤高山病院事件の第一審
まず、日赤高山病院事件の第一審昭和49年3月25日岐阜地裁判決は、「光凝固治療を目的とする転医の遅れについて」の中で被告の光凝固法は医学界の常例となっておらず実験中であったから被告には過失がないという主張に対して、「前記認定の如く、永田医師は昭和42年10月第21回臨眼講演において昭和42年3月と5月に光凝固治療を実施し成功した旨講演し、同旨を昭和43年4月号『臨床眼科』22巻4号に発表し、更に、同年10月号『眼科』」10巻10号においても同旨を発表し、光凝固施行の意義、光凝固の時期、過剰侵襲等につき説明し光凝固の有効性を述べ、更に昭和44年10月第23回臨眼講演において四症例追加の講演をなしその中で光凝固の殆ど確実性を有することを述べておるものであり、第23回臨眼講演の永田医師の講演は下出医師においては聴取してはいないが、その内容の概括を記載した抄録は下出医師にも渡されていることが推定させるものであること等種々綜合すると、原告出生当時光凝固法の存在に対しては眼科界一般は知識を有していたといってよく、その旨下出医師においても認識していた筈である。」とか、「前記認定の如く光凝固法の存在等に対しては学会での講演専門誌での発表により眼科医の殆どが医学知識として有していたであろうことは推定でき、少なくともそれが専門医として有すべき一般水準であり決して最高水準であるとはいえないと考える・・・」と判示した。
要するに、同判決は、学会での講演、専門誌での発表により当該医師が知識として当該診断治療法に関する知識を有していれば医師の注意義務の基準となるというもので、そのために講演、発表がなされた年月を示して注意義務の基準となった時期を特定するという手法を用いて、医師の過失を認定しているのである。
b 日赤高山病院事件の控訴審
これに対して、控訴審である昭和54年9月21日名古屋高裁判決は、医師の過失を否定した。光凝固治療法の正確な知識が普及していないという次のような理由付けによる。「光凝固治療法の普及の経緯をみるに、永田医師が右治療法を実施し、その成果を昭和43年眼科医学の専門誌である『臨床眼科』22巻4号に発表してから、これに続いて、《中略》専門的研究者の間においてそれぞれ光凝固治療法についての追試が行われるに至った」。右各追試の結果が発表されたのは「昭和46年4月以降であり、それ以前の段階では、昭和45年4月植村医師が眼科学界の専門誌上に右治療法を好意的に紹介したほかは、医学専門誌において本症がとりあげられても、その治療法としての光凝固法については全然触れられていないか、あるいは、本症についての専門的研究者が右治療法について積極・消極いずれとも判断できないことを言い添えている程度であったことが認められる。」として、結論として「右治療法に関する正確な知識は殆ど普及していなかったことが推認される」とした。控訴審判決は医師の過失を認めた第一審判決を覆すために、光凝固法が普及していないとしたが、それも、専門誌によってどの程度取り上げられているかを検討する手法に拠ったのである。
c 長崎市民病院事件の第一審
長崎市民病院事件の第一審では、医師の注意義務は「広く日本の医学水準を基準に判断」すべきであり、その立証のために多くの出版物が出されて臨床的研究の基礎は十分提供されていたという原告の主張に対して、被告は「定期的検眼の必要性がはじめて提唱されたのは、昭和41年秋の学界における植村恭夫、奥村和男の研究発表においてであり、その論文の抄録が出版されたのは昭和42年の秋であること、昭和42年当時においては、未熟児網膜症について定期的に眼科医による検眼をなすべきであるというような認識と関心は、日本の小児科医はもちろん眼科医においても乏しく、日本医学の水準としては一般化していなかったこと」、「光凝固法なる療法が開発されているが、右療法による後遺症害等についても疑問なしとせず、まだ研究段階の域を脱していない」と主張した。そして、昭和49年6月26日長崎地裁判決は、光凝固法について「一般的普及が困難であること、治療上高度の技術を要すること、施療に伴う副次的作用(後遺症害がのちに発生する危険)の有無が確定していないことなど」問題点を指摘して医師の過失を否定した。
d 長崎市民病院事件の控訴審
長崎市民病院事件の控訴審昭和52年5月17日福岡高裁判決においても、控訴人(原告)は、注意義務の判断基準として「広く世界の医学水準」によるべきであると主張した。そして、同判決は、定期的眼底検査を怠った過失について「文献(30)、(32)、(33)、(34)、(36)、(42)、(44)、(46)、(48)、(52)、(54)、(55)、(60)、・・・を綜合すれば次の事実を認めることができる。」とし、「定期的眼底検査を主張するものは、前記植村医師による2、3の文献にすぎず」として、医師の過失を否定した。
e 新小倉病院事件第一審と控訴審
新小倉病院事件第一審昭和53年2月9日福岡地裁小倉支部判決ではどうか。原告は、医師の過失の注意義務に関して原告出生当時の「時点における未熟児網膜症に関する学会、医学文献、臨床報告等を通じて形成されていた医学の一般水準は以下のとおりであった。」として、文献名とその時期、内容を極めて詳細に紹介している。これに対して、被告は、原告が紹介した文献の内容について、認否しているのである。そして、同判決は、文献等を詳細に検討した結果として、結局「原告ら出生当時においては、本症に対する診断及び治療についてはまさに試行錯誤の段階にあった」とした。同事件の控訴審昭和55年2月28日福岡高裁判決は、第一審判決をほとんどそのまま踏襲するものである。
要するに、医学水準を注意義務の基準と設定することによって、文献、講演、報告等に紹介されている知見があるかどうかで過失の有無が決まってしまう傾向が否めないのである。
以上の引用例のように、姫路日赤事件最高裁判決が医療水準の認定の枠組みを示すまでは、下級審裁判例(注意義務の基準を医学水準とするもの医療水準とするものを問わず)は、殆どが詳細な医学文献の検討を行っており、上記引用例はそのごく一部の紹介である。もし、医学水準を注意義務の基準とすると、裁判所による医学文献の精査がより詳細に行われることになり、そのような事態になれば、間接事実から主要事実を認定して、過失の存否を決するという現行裁判の枠組みから大きくはずれることは否めない。そして、このような事態は、医学文献による情報をより多く有している者が訴訟の勝敗の鍵を握ることになり、結局のところ、患者側よりも医療専門家である医師側に有利な結果におわり、患者保護の見地からも好ましくない結果に終わることが推察される。
姫路日赤事件最高裁判決が医療水準の認定の枠組みは、間接事実から主要事実を推認する手法によって医師の注意義務の基準を認定し過失を認定するということを可能とするものであり、その間接事実も医学文献による知見に限られず社会的実をも含むものであるから、医療水準の枠組みが提示されたと言うことは、事実認定を行う裁判所の本来的な役割が期待される分野が示されたと評価されるのであり、医療水準を注意義務の基準とすることで患者の立証活動の困難性をも解決するものであり患者保護の見地からも好ましいと考えられる。そして、医学水準を否定することによって、姫路日赤事件最高裁判決が医療水準の認定の枠組みを提示することが可能となったのである。
また、輸血梅毒感染事件の第一審判決(昭和30年4月22日東京地裁)は、「YはXの梅毒罹患が輸血に因ることは医学的に必ずしも断定できないと主張してゐるが右主張は裁判の対象となる事実の証明は科学の対象としての事実の証明と本質的に差異のあるものであることを考へない科学者の陥り易い誤解である。裁判上における証明は科学的証明とは異り、科学上の可能性がある限り、他の事情と相俟って因果関係を認めて支障はなく、その程度の立証でよい。科学(医学)上の証明は論理的必然的証明でなければならず、反証を挙げ得る限り未だ立証があったとは云へまいけれど、裁判上は歴史的事実の証明として可能性の程度で満足するの外なく従って反証が予想されるものでも立証があったと云ひ得るのである。」とするのが示唆に富む。注意義務の基準として医学水準を採用することは、科学上の証明を強制することになるとも言えよう。
(3)司法審査の観点から
さらに、付け加えるならば、司法審査の観点からも医学水準が注意義務の基準になることは困難であることが指摘されなければならない。
司法裁判所は「法律上の争訟(裁判所3条1項)」を裁判する。法律上の争訟とは、当事者間の具体的な権利義務ないし法律関係の存否に関する紛争であって(事件性)、かつ、法律の適用によって終局的に解決し得べきものを言う。したがって、科学上の真理、芸術上の美、宗教上の信仰、等々は裁判所の審判対象にならない(高橋宏志「審判権の限界」ジュリスト増刊民事訴訟法の争点第3版・20頁・1998年)。『学問としての医学水準』が、科学上の真理に該当するならばそもそも審判対象にならないと断ずることもできよう。ここでの指摘は、審判対象にならないとまでは断言できないとしても、そもそも医学水準なるものはその性質上、裁判所における審判対象に馴染み難い性質を有していることを指摘したいということである。
「『学問としての医学水準』はまた研究水準とか学界水準といってよいのであるが、それは学界に提出された何らかの学術的問題が基礎医学的に又は臨床医学的に、何十回かあるいは何年かの内外諸学者間の、もしくは学会間の研究、討議の繰返えしを経て、問題の全容又はその核心の方向づけが学界レベルで一応認容されるに至って始めて形成される、というものである。単に一、二の論題がその峰角を露わしたという程度では未だ実質的な医学水準とはいえないであろう。これに対し『実践としての医療水準』は、また経験水準もしくは技術水準の意味をも含むものであり、前記のようにして形成された医学水準の諸問題につき、これを医療の実践として普遍化するために、あるいは普遍化し得るや否やを知るために、さらに多くの技術や施設の改善、経験的研究の積み重ね、時には学説の修整をも試みてようやく専門家レベルでその実際適用の水準としてほぼ定着したもの」である(前掲松倉論文64頁)。このように、ある学術的問題が医学水準となる形成過程では、学会間の研究、討議が繰返えされて、批判に対する反論等、議論が戦わされているのであるが、そのような状況において、裁判所が医師の過失認定の前提として、ある学術的問題を医学水準として認定することは、裁判所という公権力が学問の世界に踏み込むことにならないか。あるいは公権的にお墨付きを与えてしまうことにならないか、という問題が指摘できるであろう。他方、医療水準を裁判所が認定することになれば、このような問題は避けることができる。
板まんだら事件最高裁判決は「本件訴訟は、具体的な権利義務ないし法律関係に関する紛争の形式をとつており、その結果信仰の対象の価値又は宗教上の教義に関する判断は請求の当否を決するについての前提問題であるにとどまるものとされてはいるが、本件訴訟の帰すうを左右する必要不可欠のものと認められ、また、記録にあらわれた本件訴訟の経過に徴すると、本件訴訟の争点及び当事者の主張立証も右の判断に関するものがその核心となっていると認められることからすれば、結局本件訴訟は、その実質において法令の適用による終局的な解決の不可能なものであつて、裁判所法三条にいう法律上の争訟にあたらないものといわなければならない。」とした(昭和56年4月7日最三判民集35巻3号443頁)。
板まんだら事件に関する最高裁の考え方は、信仰の対象の価値ないし宗教上の教義に関する判断が訴訟の帰すうを左右する前提問題となっている場合には、裁判所は司法審査ができないという論理であるが、医学水準を注意義務の基準とする場合も、判断主体である裁判所の立場から見た場合には類似の問題が提起されえる。板まんだら事件は、信仰の自由と政教分離を保障した憲法20条から司法審査を否定したのであるが、医学水準の場合は医学という学問が関わる場合であって、学問の自由と研究機関の自治を保障する憲法23条が関係するとも考えられるからである。裁判所が宗教問題に立ち入ることが慎重でなければならないとすれば、学問の世界に係ることも慎重でなければならないといえるのではないか。
以上から、結論として、日赤高山事件上告審判決は、医学水準を否定するという趣旨以上のものではないとしても、最高裁が注意義務の基準として医療水準を採用したことは、極めて賢明な判断であったと考える。問題は、本判決では、医療水準の中身が明らかになっていないことである。そして、医療水準の中身に関する詳細は、姫路日赤事件(平成7年6月9日最二判)と、その差戻審である平成9年12月4日大阪高裁判決を待たなければならないのである。