コラム
2023.04.24
医事法講座第19回≪医療水準論⑻【新小倉病院事件】≫
弁護士 崔 信義(さいのぶよし/崔信義法律事務所)Ph.D.
□博士(法学)
□放射線取扱主任者(第1種免状,第2種免状)
□毒物劇物取扱責任者(一般)
□火薬類取扱保安責任者(甲種免状)
□エックス線作業主任者免許
□ガンマ線透過写真撮影作業主任者免許
□一般財団法人 日本国際飢餓対策機構(理事)
□社会福祉法人 キングスガーデン三重(評議員)
医事法講座第19回≪医療水準論⑻【新小倉病院事件】≫
第1節 昭和50年代の最高裁判決
7 新小倉病院事件
日赤高山事件において最高裁は初めて「医療水準」という概念を登場させたが、本件(注)は、その4ヵ月後に出された判断である。
(注)上告審:昭和57年7月20日最三判(集民136号723頁、判時1053号96頁、判タ478号65頁)
第一審:昭和53年2月9日福岡地裁小倉支部(判時878号31頁、判タ364号141頁)
控訴審:昭和55年2月28日福岡高裁(判タ423号140頁)
事案
Xら(患児ら双子、原告・控訴人・上告人)は、昭和44年4月5日小倉市内で出生後同日Y(国家公務員共済組合連合会、被告・被控訴人・被上告人)の病院(以下「被告病院」という。)に転院。出生時体重は両者とも1850グラム。
裁判経過
第一審:請求棄却。
Xの主張
「注意義務ないし過失の有無の判断は、治療行為のなされた時点における医学の一般水準(医療水準)を基準としてなされるべきである。」「医学の一般水準(医療水準)という場合には、(中略)単に医師一般の平均値をとって判断してはならない。」とし、Xが出生した当時の未熟児網膜症に関する学会、医学文献、臨床報告等を通じて形成されていた医学の一般水準を検討し、「昭和44年4月当時、本症の症状、経過、その治療方法に関する知識に関しては、別表のとおり昭和30年代以降、専門誌をはじめとする文献が相当多数発行されており、大学病院、公立病院では既に定期的ないしは退院時の眼底検査の必要性が強調され、かつ実施されていたのであるから一般開業医と異なり、保育器を設備し、小児科専門の医師を配置し、その他人的、物的設備の点で充実した診療環境にあるY病院の如き組合病院としてはこれらの知識を得ることが可能な状態にあり、これを前提として診療に従事すべきであるといわなければならない。のみならず、Y病院小児科担当渡辺医師は九州大学在勤中、酸素療法と本症との因果関係及び退院時における眼底検査の実施の事実を知見しているのであるから、Xらの治療保育に際しては、酸素療法に関連する本症発生予防のため眼底検査を実施し、その結果に応じて必要措置をとるべきであるという本症に対する基礎的な知識を保有していたとみるべきであり、またこれらの知識を容易に知得し得べき立場にいた」と主張した。
Yの主張。
医学水準を、「学問としての医学水準」と、具体的可能性のある「実践としての医療水準」とに分けて、次のように論じる。「一般に臨床医学に関して言えば、専門の学会や学会雑誌に発表される内容と、我国における一般的医療水準との間には、かなり大きな隔たりがあることを指摘しなければならない。学会等で発表された内容をそのまま無批判に日常の臨床に応用することは妥当でなく、却って医療の基本にふれる問題であり、大方の見解が一致した段階で広く普及が計られるのが常道であり、しかもこれが人的・物的態勢の整備と相俟って、具体的可能性のあるものとして日常の診療に応用されるに至ってはじめて『一般的医療水準』といえる」とした。そして、本症の『治療指針』となるべき診断及び治療基準が一応のものとして示されたのが昭和50年3月であり、それまでは本症の自然治癒率が85パーセントもの高率であることが明らかにされて、光凝固術の専門的研究者の間でさえ種々の異論があり、評価もまちまちで治療上の限界が唱えられていた。Xら出生当時の診断及び治療についてはまさに試行錯誤の段階にあった。と主張した。
Xの反論
「医学的知見の機会も学会、文献等を通じ充分与えられているのであるから、それだけ治療行為の際して高度の注意義務が医師において課されて然るべきである。」
判決
「医学の一般水準(医療水準)を各事案において考えるに際しては、問題とされる医療行為のなされた(あるいは不作為の)時期、なされた場所(地理的条件)、それがいかなる種類の診療機関における診療行為か(大学病院、総合病院、専門病院、個人経営の診療所等の差異)など諸般の事情を考慮して、具体的に判断しなければならない。」
「植村医師や永田医師のような先覚的医師を擁していた病院は格別、我が国でも一流と目して差支えない診療機関が眼底検査の実施に着手したのはおおむね昭和45年以降であり、特にY病院に最も近い九州大学附属病院においても然りである。したがって、Xらに対して酸素療法を施した昭和45年4月当時渡辺医師が眼底検査の必要性を知らなかったとしてもこれを非難することはでき」ない。
控訴審:控訴棄却。
「当時、光凝固法は、未だ、一般の臨床医家の間では勿論,一流の治療機関である大学附属病院においてすら、有効な治療法として認識されるに至ってなかったものというべきであるから、Xらに対し天理病院への転医措置を講ずることなどによっても、光凝固法の施行を期待することは到底無理であった。」
上告審:上告棄却。
① 「医療界では未熟児の酸素療法にあたりその濃度さえ制限すれば本症発生の危険はないとの知見が一般であった」。
② Xら出生当時は、早期発見のための眼底検査の実施は、一流の診療機関においても期待しうべくもなかった。
③ 光凝固法も未だ追試早々の段階にあって一般の臨床家医、眼科学界においても、本症に対する有効な治療法であると認識されたものはなかった。
そして、注意義務の基準となるべきものは、診療当時のいわゆる臨床医学の実践における医療水準であるとし、原判決の判断は正当とした。
この判決は、医学水準と医療水準の違いを明確に意識しているように思われる。「医療界では未熟児の酸素療法にあたりその濃度さえ制限すれば本症発生の危険はないとの知見が一般であった」として、医学界とはいわず敢えて医療界という用語を使用していることからも理解できる。
検討
長崎市民病院事件上告審判決(昭和54年11月13日集民128号97頁)においては、いまだ医学水準と医療水準の違いについての認識が欠如しており、「予防ないし治療の方法は、当時における本症に関する学術上の見解や臨床上の知見として一般に受容されていたところにほぼ従って行われたものであって当時の医学水準に適合したもの」としたが、同判決は、「わが国における本症の発症例の報告は、少なくとも小児科医関係の文献に関するかぎり極めて少なく、国立小児病院の眼科医師植村恭夫らは、昭和41年秋以降研究の成果を発表し、本症の予防対策として未熟児の眼科的管理の重要性を強調した」等の認定事実を挙げていることからすると、医療水準のみならず医学水準の観点も意識しているようにも思われる。しかし、日赤高山病院事件最高裁判決(昭和57年3月30日)を経て本判決に至ると、医学水準的な認定事実は影を潜め、医療水準の観点からの認定事実を列挙しており(上記判旨の①②③等)、このことは今後の訴訟において医療水準を認定する為の間接事実として参考となるものと考えられる(注)。
例えば「本症の治療法として発表された光凝固法も未だ追試早々の段階にあって、一般の臨床医家の間では勿論、眼科学界においても本症に対する有効な治療法であると認識されたものはなかった」という事実をあげているのであり、とすれば、反面、有効な治療法であると認識されていることが医療水準の要件であるとの推測も可能である。そういう意味で、日赤高山事件上告審判決後、徐々に医療水準認定のための間接事実が現れ始めたということであろう。
(注)山本隆司・民商88巻252号頁は、「本件を含む3つの最高裁判決は、右争点の判断基準を『当時の臨床医学の実践における医療水準』としてきた。しかし右判断基準は、注意義務の程度について参照されている最一小昭和36判決とは逆に、原審判決をそのまま『事実認定』として踏襲するという本症関係最高裁の態度と相俟って、『罹患児出生当時は右各措置を実施する段階に至っていなかった』旨の原審判決を支持するという消極的かつ白紙規定的機能しか果たしておらず、いきおい各最高裁判決の射程距離(先例性)は極めて制限的なものとなり、他方訴訟の勝敗は控訴審までの事実審段階で実質的に決定されてしまうという状況を呈している。」と指摘し、本件判決の「先例性は希薄である」という。