コラム

2023.04.24

医事法講座第21回≪医療水準論⑽【坂出市立病院事件】≫

弁護士 崔 信義(さいのぶよし/崔信義法律事務所)Ph.D.

□博士(法学)

□放射線取扱主任者(第1種免状,第2種免状)

□毒物劇物取扱責任者(一般)

□火薬類取扱保安責任者(甲種免状)

□エックス線作業主任者免許

□ガンマ線透過写真撮影作業主任者免許

□一般財団法人 日本国際飢餓対策機構(理事)

□社会福祉法人 キングスガーデン三重(評議員)


医事法講座第21回≪医療水準論⑽【坂出市立病院事件】≫

第2節 昭和60年代の最高裁判決

2 坂出市立病院事件

本件(注)は、最高裁として初めて眼底検査に関する告知説明義務について論じたものである。医療水準として確立していなかったという理由で否定した。

(注)上告審:昭和61年5月30日最二判(集民148号139頁、判時1196号107頁、判タ606号37頁)

第一審:昭和53年3月31日高松地裁丸亀支部(判時908号82頁)

控訴審:昭和58年3月22日高松高裁(判タ501号201頁)

 

事案

X(患児、原告・控訴人・被上告人)は、昭和45年10月27日丸亀市内で出生同日Y(坂出市、被告・被控訴人・上告人)の病院(以下「被告病院」という。)に入院。出生時体重1250グラム。

 

裁判経過

第一審:請求棄却。

医師の過失の判断基準

当該医師の過失の前提となる注意義務について、臨床医学の水準(以下『医療水準』という。)をもって、まず注意義務の判断の基準となすべきである。

「XがYセンターに入院していた昭和45年11、12月当時において、未熟児に対し定期的眼底検査を実施することが、未熟児の養育医療に携わる通常の小児科医、眼科医にとって医療水準にまで達していたということはできず」

「光凝固法の治療法としての有効性も認識しておらず従ってまた定期的眼底検査の必要性をも認識していなかった小児科の通常の臨床医であって」

「光凝固法の治療法としての有効性もあまり認識しておらず従ってまた定期的眼底検査の必要性をも認識していなかった眼科の通常の臨床医であったのであるから、同人らにおいてXに対し定期的眼底検査を実施すべき注意義務があったということはできない。従って、右義務違反による過失を肯定することもできない。」

 

控訴審:原判決を変更、請求一部認容。

控訴審においては、T医師のXに対する保育上の過失に関して、脳障害の発生を未然に防止するという観点からT医師の酸素投与の処置に過失はなかったとし、定期的眼底検査についても第一審判決と同じく過失を否定した。

そして、光凝固法を説明しなかった過失について、T医師には過失を否定したが、O医師に対しては過失を肯定した。O医師が「光凝固法によって進行中の本症が頓挫的にその進行を停止でき治療法として有効であるという記事」を読んだことがあるから、「O医師がXを検査し本症の発生又はその発症可能性を発見したら、Xらに未だ先駆的段階で確実な治療法かどうか判らぬが、光凝固法という治療方法があることを告げることはできたのにそれをしなかったのは正確な眼底検査をしなかったためとしか解されず、そこに債務不履行がある」。とした。

そして、Xの父母が光凝固法が頓挫的には有効であり試みられていることの説明を受けたなら「Xのため必死になって本症の治療法を探し求めた事実からして、Xに天理病院の永田又はそれに代る医師の診断と光凝固法による治療を受けさせ、(中略)両眼の完全失明を防止し得た可能性を否定できず」また、当時Xの父母にはそれができなかった支障があったという事情はなかったのであるから、O医師の過失とXの失明との間には相当因果関係があるとした。

 

上告審:Yの敗訴部分を破棄、Xらの控訴棄却。

「前記認定事実によれば、XがY病院に入院中の昭和45年11月頃当時、光凝固法は当時の臨床医学の実践における医療水準としては本症の有効な治療方法として確立されていなかったのであり、また、ほかに本症につき有効な治療方法はなかったというのであるから、O医師には、もとより有効な治療方法と結びついた眼底検査の必要性の認識がなかったことは当然であり、Xの両親の要求を受けたT医師から眼底検査の依頼があった場合であっても、眼底検査を行った結果を告知説明すべき法的義務まではなかったというべきである。」

「したがって、原審が、当時、本症については光凝固法を含め有効な治療法は一般の医療水準として確立していなかったとしながら、O医師に前記眼底検査義務等の違背があったとして、Yの債務不履行責任を認め、Xらの本訴請求を認容した部分は、法令の解釈適用を誤った違法がある」。

 

検討

上告審は、有効な治療方法と結びついた眼底検査の必要性の認識がなかったとして、Xの両親の要求を受けたT医師から眼底検査の依頼があった場合であっても、眼底検査を行った結果を告知説明すべき法的義務まではなかったと判示する。しかし患者側の依頼に関して詳細な説明は必要であろう。当該医師が施行している診断治療の経過とは異なる検査を患者側が敢えて当該医師に依頼する場合には、通常、患者側の考えとしては、他の医療機関の治療を受けるために転院を考えている場合が少なくない。したがって、患者側が、本件のように敢えて検査を依頼したような場合には、依頼を受けた当該医師が患者側の転院等の意図を合理的に推測することができるような事情がある場合には、医療水準論からすると告知説明義務はないとしても、信義側上、告知説明義務が生じるとしてよいのではないか。その根拠は、当該医師が検査結果の真実の告知説明をしない場合には、患者側の転院等の機会を奪い、患者側が自ら選択して治療を受ける機会が与えられるべきだという要請に反するからである。また、患者側が、検査を依頼した際に、検査結果によっては転院等、他の治療を受ける予定があるとの意図を明示して依頼した場合には、同依頼を承諾した当該医師は、信義側上、告知説明義務を免れないと解すべきである(注)。

この問題も背後には、医師の裁量と患者の自己決定権の調節という問題が控えているものと考えられる。医療行為が医師の専門的判断に依存している部分が大きいことは否定できないのであるから、医師の裁量も基本的には医療水準に従って考えるとしても、医療行為も医師と患者の協力関係を前提としなければ成立しないことも明らかである。したがって、医師と患者の協力関係を成立させるべき、信義側を基準とする医師と患者の信頼関係は守られなければならない。したがって、医療水準論を基準とすれば医師の裁量の範囲内の問題であっても、信義側によって、具体的な診療行為の過程において、医師に対しある一定の義務を課すことは、医療水準の考え方と矛盾するものではないと考える。

(注)中田昭孝・ジュリ868号58頁は、「医療水準上有効な治療法方はないといえる場合であっても医師には特段の事情のない限り患者に対する真実告知義務があるのではないかという難しい問題点があり、今後検討されるべき重要な課題であるといえる。」とする。

浦川道太郎・ジュリ臨増887号78頁は、「患者側が積極的に検査を依頼する場合には、診断結果に関する情報を利用して自らの判断をおこなう用意があるために、患者側がかかる依頼をしたと考えられ、この患者側の自己決定の機会は保障されなければならないと解されるからである。」「患者側が検査を求めた場合において、その結果を医師が告知説明しないときは、異常はないものと患者側が誤導される危険性が一般的にあることも考慮すべきである。」と指摘する。

 

3 八幡病院事件

本件(注)の判旨は、従来の判決と変わりはないが、本件判決には、伊藤裁判官による詳細な補足意見が付されている。

(注)上告審:昭和63年1月19日最三判(集民153号17頁、判時1265号75頁、判タ661号141頁)

第一審:昭和53年10月3日福岡地裁小倉支部(判タ368号153頁)

控訴審:昭和57年6月21日福岡高裁(判タ479号172頁)

 

事案

X(患児、原告・被控訴人(附帯控訴人)・上告人)は、昭和47年1月30日N病院で出生後2月2日Y(北九州市、被告・控訴人(附帯被控訴人)・被上告人)の病院(以下「被告病院」という。)に転院し、同年5月15日退院。同年2月頃に未熟児網膜症に罹患。同年7月28日本症瘢痕期となり失明同然の障害を受けた。

Y病院の眼科医は原医師。同病院の小児科医は今井医師。

 

裁判経過

第一審:請求一部認容。

昭和47年当時における定期的眼底検査、光凝固法の実践程度

「当時本症の変症例が各地で発症し、これが定期的眼底検査により発見されている状況にあり、適期を失すれば失明することは明らかとされており、しかもこれを阻止しうる唯一の方法が光凝固法であったのであるから、副作用のあることが特に明らかにされていない限り、また前記のとおり4才までは正常の視力を有していることが報告されていたことも考慮すれば、治療方法として臨床上採用すべきものではなかったとはいえない。更に、厚生省研究班が昭和50年に発表した本症の診断基準、治療基準は、当時行われていたそれらの最大公約数的なものを追認したに過ぎないものと認められ、それ以前に右診断基準、治療基準が存在しなかったものではない。」

原医師の過失

「原医師には、総合病院において未熟児保育医療に携わる眼科医の有すべき平均的知識に欠けるところがあった」。「特に倒像検眼鏡の必要性についての知識が不充分であったことは重大であり、このことが、ひいては前記の如き不充分な検眼につながったものと考えられ、充分な眼底検査義務を怠った過失がある」。

今井医師の過失

「今井医師は当時、総合病院において未熟児保育医療に携わる小児科医の有すべき右平均的知識に欠けるところがあったか、あるいは右知識を有しながら、漫然と生後67日目にXの眼底検査を依頼するに至ったもので、早期眼底検査実施依頼義務を怠った過失がある」。

原、今井両医師の過失とXの視覚障害との相当因果関係

Yは、仮に両医師が光凝固の適期前にXの本症罹患を発見していたとしても、光凝固により本症を治癒しえたか否かは疑問であるとする。「しかしながら当裁判所は、高度の医学専門分野における治療行為の適否が判断の対象となる本件訴訟の特質に鑑み、前記のとおり、わが国において本症に対する光凝固法施行の奏功例が相当多数報告されている事実が立証された以上、右治療法に関する医学上の専門的知識と資料とを保有するはずの医師、被告側において、Xに対し適期に光凝固を施行しても前記視覚障害を避けられなかったとの特段の事情を立証しない限り、Xについても右多数の報告例と同様に適期に光凝固を施行すれば本症を治癒しえたものと推認するのが相当である」。

 

控訴審:Y敗訴部分取消、Xの請求棄却。

「医療従事者に課せられる注意義務の基準となるべきものは、診療当時のいわゆる臨床医学の実践における医療水準であることはいうまでもない。」

本症に対する光凝固・冷凍凝固治療は、昭和50年に至り、前記厚生省研究班報告『未熟児網膜症の診断および治療基準に関する研究』が発表され、本症の診断、治療に関し一応の基準が提示されることによって、ようやく、臨床専門家のレベルで治療法として定着し始めたものと認められる。そうだとすれば、本件当時においては、臨床医において、本症について適切に光凝固治療を受けさせなかったとしても医療の業務上特段の注意義務の懈怠があったものということはできず、右治療方法につきなんらの説明、療養指導をしなかったからといって、いわゆる説明義務、療養指導義務違背があったということもできない。

 

上告審:上告棄却。

上告審判決は、「Xの出生した昭和47年当時、未熟児網膜症に対する治療法として光凝固法を実施することがいまだいわゆる臨床医学の実践における医療水準にまで達していたものとはいえない」とした。多数意見は、最高裁が医療水準に関して第一審判決と控訴審判決の各手法のどちらを採用するかは明確には答えていないが、伊藤補足意見がこの点について回答を与えている。

 

検討

第一審判決も控訴審判決も注意義務の基準として医療水準を採用しているが異なる結論に至っている。これが本件での問題点である。

本件控訴審判決が、昭和50年の厚生省研究班報告が発表されて、本症の診断、治療に関し一応の基準が提示され、臨床専門家のレベルで治療法として定着し始めたと認知していることから、同研究会報告をもって医療水準とするようにも考えられるが、明らかでない。本件上告審判決においても、研究班会報告を医療水準と認定しているか定かではない。

また、医師の過失の判断基準について、上告理由が第一審と控訴審判決の違いを明確な形で次のように論及する。

すなわち、一審では「本症の治療行為の実践程度を多くの文献等によって探求し医療水準を認定する手法をとった。」のに対し、二審では「一審判決のように、現実にどのような治療行為がどの程度実践されているかを探求する手法ではなく、臨床医学としての形成過程-手続を履践充足したか否かを医療水準の基準としている。」

上告理由が表現するように、第一審では「本症の治療行為の実践程度を多くの文献等によって探求し医療水準を認定する手法をとった。」のに対し、控訴審では「学界レベルで一応正当なものとして認容された後、これが更に教育、普及を経て、臨床専門医のレベルで治療方法としてほぼ定着するに至る」過程を認定する手法をとっているという違いが第一審と控訴審の両判決の違いとして指摘できる、とする。この評価は的を得ているのであり、第一審判決は医療水準という言葉を用いながらも、実質的には従来どおりの医学水準論を採用しているに過ぎないと理解されるのである。

本件の第一審、控訴審、上告審をとおして、医学水準と医療水準との違い関係が判決をとおして整理され、明確に意識されたものと考えてよい。

第一審は、医師の注意義務の基準として医学水準を採用し(第一審は用語としては「医療水準」という言葉を使用しているが、その中身は「医学水準」である。)、控訴審は医療水準を採用している。そして、最高裁は控訴審を支持した。本件最高裁第三小法廷判決の特徴は、伊藤正己補足意見によって、医療水準がある程度詳細に示された点にある。

本件判決に至るまでにも、日赤高山病院事件昭和57年3月30日最三判、新小倉病院事件昭和57年7月20日最三判、坂出市立病院事件昭和61年5月30日最二判において、医療従事者の注意義務の基準は、「診療当時のいわゆる臨床医学の実践における医療水準である」と重ねて判示してきたが、内容は下級審判決と松倉論文の内容から推測する他なかった。しかし、本件においては、第一審においては医学水準を採用し、控訴審においては医療水準を採用したという状況のもとで、最高裁は医療水準を採用すると再度明言し、その内容を伊藤補足意見を通して明確化した。

 

4 伊藤正己裁判官の補足意見

伊藤補足意見を整理すると、次のようになる。

医療従事者には実験上必要とされる最善の義務を要求され、研さん義務を負う。また、転医勧告義務を負う場合もある。

医療水準は、平均的医師が現に行っている医療慣行と異なり、専門家としての相応の能力を備えた医師が研さん義務を尽くし、転医勧告義務をも前提とした場合に達せられるあるべき水準である。そして、医療水準は、当該医師の専門分野、当該医師の診療活動の場が大学病院等の研究・診療機関であるのか、それとも総合病院、専門病院,一般診療機関などのうちいずれであるのかという診療機関の性格、当該診療機関の存在する地域における医療に関する地域的特性等を考慮して判断される。

この意味において、医療水準は、全国一律に絶対的基準として考えるべきものではなく、前記の諸条件に応じた相対的な基準である。全国的にみて医療水準に達したといえる段階に至る前の段階においても、眼科等特定の専門分野の、あるいは特定の性格、機能を有する診療機関の、更には特定の地域の医師等の医療水準に照らして、本症に対して光凝固法を実施し若しくはこれを実施することを前提とした措置を講じ、あるいは患者等に対して適当な診療機関への転医を勧告すること等が要求される場合もありうる。その場合に、当該特定の専門分野、診療機関又は地域等の臨床医が、光凝固法について知見を有しないため適切な措置を講じなかったときには、研さん義務を怠ったものとして法的責任を問われる、という内容である。

伊藤補足意見によって、昭和49年から始まった本症の裁判においての医療従事者の注意義務の基準の位置づけ、及び、判断する場合の諸条件が明らかになった。しかし、同補足意見で、例示する「診療機関の性格、当該診療機関の存在する地域における医療に関する地域的特性等」という事情を、どのように考慮して、医療水準を決するのかは未だ不明確であった。医療水準を判断する際の材料は明示されたが、その材料を用いてどのように判断するかについては、姫路日赤事件平成7年6月9日最二判、姫路日赤事件差戻審平成9年12月4日大阪高裁判決によって示されるまで待つことになる。

 

5 名古屋掖済会病院事件

本件(注)は、産婦人科医浅井医師に眼底検査を依頼する法的義務を認めることができるかという点で争われた。

(注)上告審:昭和63年3月31日最一判(集民153号603頁、判時1296号46頁、判タ686号144頁)

第一審:昭和55年6月25日名古屋地裁(判時993号79頁、判タ419号52頁)

控訴審:昭和57年9月29日名古屋高裁(判時1057号34頁、判タ480号74頁)

 

事案

X(患児、原告・控訴人・被上告人)は、昭和46年2月4日Y(社団法人日本海員掖済会、被告・被控訴人・上告人)の病院(以下「被告病院」という。)で出生。女児。出生時体重は1300グラム。Xの主治医は、産婦人科医浅井医師、眼底検査をしたのは眼科の新美医師。

 

裁判経過

第一審:請求棄却。

医師の過失の判断基準

臨床医としての医師の医療行為に過失ありや否やは、当時の医療水準に照らして判断される。

Xに対する酸素投与につき担当医師の過失の存否

「浅井医師の酸素投与についての措置は、医学上の定説に従ったものと認められ、同医師に酸素投与につき過失ありとは認められない。」

ステロイドホルモンの有効性について

「昭和49年厚生省研究班は、『副腎皮質ホルモンの効果については、その全身に及ぼす影響も含めて否定的な意見が大多数であった』と報告している。」「右の事実によればステロイドホルモン等の投与は、もともと本症の治療法として有効ではなかったのであるから、X出生当時においても、ステロイドホルモン等の投与と結びついた意味での眼底検査義務は、存在しなかったものといわざるをえない。」

光凝固法の有効性

「光凝固法との結合性に基づく定期的眼底検査が、全国的に定着したのは昭和47、8年以降である。」という事実及び「昭和46年2月当時における一般眼科医及び産婦人科医の光凝固法に対する知見の程度に照らすと、右臨床医につき、光凝固法との結合性に基づく定期的眼底検査義務が、X出生当時における一般的医療水準を形成していたと認めえることは極めて困難である。」

過失の総合的判断

ところで、光凝固手術と結びついた、手術の適期発見のための眼底検査は、Y病院の存する愛知県についていえば、名鉄病院、名古屋大学附属病院のように、光凝固手術を実施していた総合病院では、当時既に施行されており、現に、Y病院でも、昭和45年ごろから実施していたのであるが、その実施している医療機関と、未熟児を保育器から出せる状態になったとき、産科の依頼で眼科医師が産科に出向いて眼底検査する医療機関とがあり、名古屋大学医学部附属病院は、後者の方法が慣行であった(定期的眼底検査を実施している名鉄病院、名古屋市立大学病院も、その実施時期は、昭和45年ごろからである。)。

Y病院では、当時、未熟児の保育管理を始めてから1年足らずで、定期的眼底検査に必要な設備、器具が十分でなく、産婦人科担当の浅井医師が、未熟児を保育器から取り出せる状態になって、始めて、眼科外来診察室の暗室に未熟児を連れ出し、週1回木曜日午後に来院する非常勤の嘱託医新美医師により眼底検査を受ける慣行であった。右慣行は、Y病院の設備、保育態勢及び名古屋地区における他病院の眼底検査の前記実施態様に照らし、当時の医療水準を下廻るものとは認められない。

浅井医師は、光凝固手術のための早期における眼底検査実施の必要性は認識していたものの、光凝固手術の適期についての認識は有しておらず、そのため、従来の慣行に従い、X出生期83日目の4月28日(水曜日)に保育器から取り出し、眼科に眼底検査を依頼したこと、右Xの保育器収容が長期に亘ったことについて医師としての裁量判断に誤りが遭ったとは認められないことは前記のとおりである。

もっとも、先に述べた、馬嶋医師発表にかかる本症の大部分が生後15日から55日に発生するという臨床例からすれば、Xの保育器収容が83日に亘ったことが、適期の眼底検査の時期を失わしめた一因となっていることは、結果論としては明らかであるが、浅井医師の当時の光凝固法についての知見の程度が、当時の産婦人科医師の医療水準に照らし、平均的産科医師の知見の程度をこえていると認められるこそすれ、これより下廻っていたと認めることはとうていできない(《証拠略》によれば、国立名古屋病院産婦人科医師は、昭和47年に田辺医師の説明により始めて右眼底検査の必要性を認識したことが認められる。)。

以上のとおり、浅井医師の右知見の程度と、当時における眼底検査実施の前記慣行及び、浅井医師が、Xの保育器。収容期間について判断の誤りがあったとはいえないこと等を総合すれば、浅井医師のXに対してとった前記一連の各措置に、当時における産婦人科医師としての注意義務に欠けるところありと解することはできない。」

 

控訴審:第一審判決を変更。

「具体的事案において担当医が当時の医療水準を超える知識を有していた場合に、当該医師の過失の存否を判断するに際しては、前示のとおり、単に当時の一般的医療水準に従って判断すれば足りるものではなく、当該医師の知見の程度、その置かれた社会的、地理的その他の具体的環境等諸般の事情を考慮した具体的医療水準を考慮して具体的に判断されるべきである」。

「浅井医師は、Xが出生した昭和46年二月当時、(1)未熟児網膜症といわれる眼疾患があり、病変が途中で自然寛解することなく進行すれば失明に至る場合があること、(2)本症は酸素を多量に投与することにより発症するものであること、(3)そこで本症の発症を予防するためには、酸素濃度を40パーセント以下に抑えるのがよいといわれているが、40パーセント以下であっても未熟児の呼吸機能が向上すれば、動脈血中の酸素分圧が上昇するので、本症の発症する場合があること、(4)貧血は本症の増強因子となりうること、(5)本症の治療法としてステロイド療法と光凝固法が存在すること、(6)名古屋地区では名鉄病院と杉田眼科医院が本症の治療のため光凝固法を実施していたこと、(7)適切な治療をするためには本症を早期に発見する必要があるが、そのためには可及的早期に眼底検査を実施するのが唯一の方法であり、可及的早期とは生後2、3週間目を意味すること、以上の事実をすべて知っていた。そして、同医師は、光凝固法は未熟児の身体に相当程度の負担を与えるものであるとはいえ、熟練の眼科医師が適期にこれを実施すれば、本症の進行を阻止する効力を有するものと理解していたが、従来本症に罹患した未熟児を取り扱った経験はなかった。」

「浅井医師さえその気になれば、遅くとも同年4月22日には、また場合によれば同月15日においてさえも、新美医師に依頼して眼底検査を受けさえることが可能であった」。そして、「この機会に眼底検査を受けておれば、Xは本症に罹患していることが発見され、時期を失することなく光凝固手術を受けることが可能となり、失明を免れえた蓋然性が大であった」。

「浅井医師がXの眼底検査を遅らせたことについて合理的な理由を見い出すことはできず、同医師には、未熟児の保育管理を担当する医師として、酸素投与をした未熟児について早期に眼科医に眼底検査を依頼し、本症の発見に努めるべき注意義務に違反した過失がある」。

損害について

「Xの未熟児網膜症は同人が極小未熟児として出生したため網膜の未熟性が素因となり、生命維持のためやむを得ず必要最小限度でなされた酸素投与が誘因となって発症したのであるから、このよう事情は損害賠償法の基礎にある公平の原則に立脚すると被害者側の事由として考慮すべきであり、Yに負担させるべき逸失利益を算定するに当っては、同じく公平の原則に立つ過失相殺の法理を類推適用して、その5割を減額すべきものと認める」。

 

上告審:Y敗訴部分を取消、請求棄却。

「昭和46年当時、光凝固法は当時の臨床医学の実践における医療水準としては本症の有効な治療法として確立されていなかった」から、「浅井医師としては、光凝固法を実施することを前提とした眼底検査を依頼する法的義務まではなかった」。

同医師は、「本症に罹患した未熟児を扱った経験がないこと、原審の認定によっても同医師が光凝固手術について実施の適期等詳細を知っていたとまでは認められないこと等に徴すると、同医師は単に文献等により光凝固法についての知識を一応抽象的に有したというにとどまるものというべきであり、同医師の右知見を考慮しても前記判断を左右するものとはいえない。」

 

検討

控訴審判決の判断は、「Y病院では、昭和45年頃より未熟児の眼底検査をはじめたが、その方法としては、未熟児を保育器から取り出した段階において、眼科に眼底検査の依頼をし、眼科外来診察室まで未熟児を連れて行き、同所の暗室で眼底検査を受けさせるのを慣行としていた。」という病院側の慣行の存在を前提とし、次の認定事実のもとで、浅井医師の過失を認定したのである。

昭和46年2月6日出生、患児は未熟児のため直ちに保育器に収容された。

出生した4、5日後、患児の母親は、昭和45年頃より本症が発症すると失明する危険があることを知っており、浅井医師に対し未熟児には目やその外の点にいろいろ障害が出るので大きな病院に転医してもらいたいという話をした。

同月28日浅井医師は、患児を保育器から取り出し、眼底検査を依頼した。

同月29日は眼科の新美医師の休診日で、眼底検査は次週に持ち越された。

同年5月6日眼底検査実施。

同月8日名鉄病院において、田辺医師の眼底検査を受けたが、左眼に網膜剥離が発生。

同月10日名鉄病院に入院。

同月14日光凝固法を実施。

同月27日眼底検査。本症が最終段階まで達しており手術を中止した。

以上の事実を前提として控訴審判決は「浅井医師さえその気になれば、遅くとも同年4月22日には、また場合によれば同月15日においてさえも、新美医師に依頼して眼底検査を受けさえることが可能であった」。そして、「この機会に眼底検査を受けておれば、Xは本症に罹患していることが発見され、時期を失することなく光凝固手術を受けることが可能となり、失明を免れえた蓋然性が大であった」とし同医師の過失を認めたのである。浅井医師が保育器からの取り出しを少し早い段階で行っていれば、本症に罹患することもなかったのではないかという蓋然性と、出生後の早い段階から患児の母親から浅井医師に対して本症の発症の危険性を危惧して転院の申出までなされている事情を考慮すれば、Y病院において眼底検査を行う慣行が存在していたという事実をより詳細に検討させる為に、最高裁としては控訴審に差戻すことも可能ではなかったかという疑問も生じる。

姫路日赤事件平成7年6月9日最二判は、「姫路日赤においては、昭和48年10月ころから、光凝固法の存在を知っていた小児科医の松永医師が中心になって、未熟児網膜症の発見と治療を意識して小児科と眼科とが連携する体制をとり、小児科医が患児の全身状態から眼科検診に耐え得ると判断した時期に、眼科の中山医師に依頼して眼底検査を行い、その結果本症の発生が疑われる場合には、光凝固法を実施することのできる兵庫県立こども病院に転医をさせることにしていた」等の事実を認定し、患児の診療当時の兵庫県及びその周辺の各種医療機関における光凝固法に関する知見の普及の程度等の事情を検討しないで患児側の請求を棄却した控訴審判決を破棄差戻した。

本件においても、Y病院の、眼科に眼底検査の依頼をして眼底検査を受けさせるという慣行が、本症を早期に発見してこれに有効な治療方法を施すことを目的として眼底検査を実施する慣行として確立していたのかどうかを控訴審において再度審理させる必要は無かったのか。疑問が無いわけではない。しかし、この点の審理をしても、控訴審判決の結論に影響を及ぼすことが明らかとはいえないとすれば、訴訟法上、最高裁としては上告を棄却するしかないのであり、やむを得ないとも考えられるが。検討の余地はある。