コラム

2023.04.24

医事法講座第22回≪医療水準論⑾【八幡病院事件】≫

弁護士 崔 信義(さいのぶよし/崔信義法律事務所)Ph.D.

□博士(法学)

□放射線取扱主任者(第1種免状,第2種免状)

□毒物劇物取扱責任者(一般)

□火薬類取扱保安責任者(甲種免状)

□エックス線作業主任者免許

□ガンマ線透過写真撮影作業主任者免許

□一般財団法人 日本国際飢餓対策機構(理事)

□社会福祉法人 キングスガーデン三重(評議員)


医事法講座第22回≪医療水準論⑾【八幡病院事件】≫

第2節 昭和60年代の最高裁判決

3 八幡病院事件

本件(注)の判旨は、従来の判決と変わりはないが、本件判決には、伊藤裁判官による詳細な補足意見が付されている。

(注)上告審:昭和63年1月19日最三判(集民153号17頁、判時1265号75頁、判タ661号141頁)

第一審:昭和53年10月3日福岡地裁小倉支部(判タ368号153頁)

控訴審:昭和57年6月21日福岡高裁(判タ479号172頁)

 

事案

X(患児、原告・被控訴人(附帯控訴人)・上告人)は、昭和47年1月30日N病院で出生後2月2日Y(北九州市、被告・控訴人(附帯被控訴人)・被上告人)の病院(以下「被告病院」という。)に転院し、同年5月15日退院。同年2月頃に未熟児網膜症に罹患。同年7月28日本症瘢痕期となり失明同然の障害を受けた。

Y病院の眼科医はH医師。同病院の小児科医はI医師。

 

裁判経過

第一審:請求一部認容。

昭和47年当時における定期的眼底検査、光凝固法の実践程度

「当時本症の変症例が各地で発症し、これが定期的眼底検査により発見されている状況にあり、適期を失すれば失明することは明らかとされており、しかもこれを阻止しうる唯一の方法が光凝固法であったのであるから、副作用のあることが特に明らかにされていない限り、また前記のとおり4才までは正常の視力を有していることが報告されていたことも考慮すれば、治療方法として臨床上採用すべきものではなかったとはいえない。更に、厚生省研究班が昭和50年に発表した本症の診断基準、治療基準は、当時行われていたそれらの最大公約数的なものを追認したに過ぎないものと認められ、それ以前に右診断基準、治療基準が存在しなかったものではない。」

原医師の過失

「原医師には、総合病院において未熟児保育医療に携わる眼科医の有すべき平均的知識に欠けるところがあった」。「特に倒像検眼鏡の必要性についての知識が不充分であったことは重大であり、このことが、ひいては前記の如き不充分な検眼につながったものと考えられ、充分な眼底検査義務を怠った過失がある」。

今井医師の過失

「今井医師は当時、総合病院において未熟児保育医療に携わる小児科医の有すべき右平均的知識に欠けるところがあったか、あるいは右知識を有しながら、漫然と生後67日目にXの眼底検査を依頼するに至ったもので、早期眼底検査実施依頼義務を怠った過失がある」。

原、今井両医師の過失とXの視覚障害との相当因果関係

Yは、仮に両医師が光凝固の適期前にXの本症罹患を発見していたとしても、光凝固により本症を治癒しえたか否かは疑問であるとする。「しかしながら当裁判所は、高度の医学専門分野における治療行為の適否が判断の対象となる本件訴訟の特質に鑑み、前記のとおり、わが国において本症に対する光凝固法施行の奏功例が相当多数報告されている事実が立証された以上、右治療法に関する医学上の専門的知識と資料とを保有するはずの医師、被告側において、Xに対し適期に光凝固を施行しても前記視覚障害を避けられなかったとの特段の事情を立証しない限り、Xについても右多数の報告例と同様に適期に光凝固を施行すれば本症を治癒しえたものと推認するのが相当である」。

 

控訴審:Y敗訴部分取消、Xの請求棄却。

「医療従事者に課せられる注意義務の基準となるべきものは、診療当時のいわゆる臨床医学の実践における医療水準であることはいうまでもない。」

本症に対する光凝固・冷凍凝固治療は、昭和50年に至り、前記厚生省研究班報告『未熟児網膜症の診断および治療基準に関する研究』が発表され、本症の診断、治療に関し一応の基準が提示されることによって、ようやく、臨床専門家のレベルで治療法として定着し始めたものと認められる。そうだとすれば、本件当時においては、臨床医において、本症について適切に光凝固治療を受けさせなかったとしても医療の業務上特段の注意義務の懈怠があったものということはできず、右治療方法につきなんらの説明、療養指導をしなかったからといって、いわゆる説明義務、療養指導義務違背があったということもできない。

 

上告審:上告棄却。

上告審判決は、「Xの出生した昭和47年当時、未熟児網膜症に対する治療法として光凝固法を実施することがいまだいわゆる臨床医学の実践における医療水準にまで達していたものとはいえない」とした。多数意見は、最高裁が医療水準に関して第一審判決と控訴審判決の各手法のどちらを採用するかは明確には答えていないが、伊藤補足意見がこの点について回答を与えている。

 

検討

第一審判決も控訴審判決も注意義務の基準として医療水準を採用しているが異なる結論に至っている。これが本件での問題点である。

本件控訴審判決が、昭和50年の厚生省研究班報告が発表されて、本症の診断、治療に関し一応の基準が提示され、臨床専門家のレベルで治療法として定着し始めたと認知していることから、同研究会報告をもって医療水準とするようにも考えられるが、明らかでない。本件上告審判決においても、研究班会報告を医療水準と認定しているか定かではない。

また、医師の過失の判断基準について、上告理由が第一審と控訴審判決の違いを明確な形で次のように論及する。

すなわち、一審では「本症の治療行為の実践程度を多くの文献等によって探求し医療水準を認定する手法をとった。」のに対し、二審では「一審判決のように、現実にどのような治療行為がどの程度実践されているかを探求する手法ではなく、臨床医学としての形成過程-手続を履践充足したか否かを医療水準の基準としている。」

上告理由が表現するように、第一審では「本症の治療行為の実践程度を多くの文献等によって探求し医療水準を認定する手法をとった。」のに対し、控訴審では「学界レベルで一応正当なものとして認容された後、これが更に教育、普及を経て、臨床専門医のレベルで治療方法としてほぼ定着するに至る」過程を認定する手法をとっているという違いが第一審と控訴審の両判決の違いとして指摘できる、とする。この評価は的を得ているのであり、第一審判決は医療水準という言葉を用いながらも、実質的には従来どおりの医学水準論を採用しているに過ぎないと理解されるのである。

本件の第一審、控訴審、上告審をとおして、医学水準と医療水準との違い関係が判決をとおして整理され、明確に意識されたものと考えてよい。

第一審は、医師の注意義務の基準として医学水準を採用し(第一審は用語としては「医療水準」という言葉を使用しているが、その中身は「医学水準」である。)、控訴審は医療水準を採用している。そして、最高裁は控訴審を支持した。本件最高裁第三小法廷判決の特徴は、伊藤正己補足意見によって、医療水準がある程度詳細に示された点にある。

本件判決に至るまでにも、日赤高山病院事件昭和57年3月30日最三判、新小倉病院事件昭和57年7月20日最三判、坂出市立病院事件昭和61年5月30日最二判において、医療従事者の注意義務の基準は、「診療当時のいわゆる臨床医学の実践における医療水準である」と重ねて判示してきたが、内容は下級審判決と松倉論文の内容から推測する他なかった。しかし、本件においては、第一審においては医学水準を採用し、控訴審においては医療水準を採用したという状況のもとで、最高裁は医療水準を採用すると再度明言し、その内容を伊藤補足意見を通して明確化した。