コラム
2023.06.19
【放射線法疫学講座】第01回≪放射線法疫学とは?≫
弁護士 崔 信義(さいのぶよし/崔信義法律事務所)Ph.D.
□博士(法学)
□放射線取扱主任者(第1種免状,第2種免状)
□毒物劇物取扱責任者(一般)
□火薬類取扱保安責任者(甲種免状)
□エックス線作業主任者免許
□ガンマ線透過写真撮影作業主任者免許
【放射線法疫学講座】第01回≪放射線法疫学とは?≫
1 「放射線法疫学」とは?
「法疫学講座第01回」の「1≪はじめに≫」では裁判の場における疫学を一般に「法疫学」と名付けていますが(https://hoshasendokufire.jp/epidemiology/000103/),放射線被ばくが疾病等に及ぼす影響が裁判において問題となっている場合に論じる疫学を,特に「放射線法疫学」と名付けます。例えば,原爆認定訴訟において原爆放射線被曝が被爆者の疾病に影響を及ぼしているどうか(法的因果関係)を主張立証する場合の法的論拠として主張する場合に使う疫学を指します。
2 参考文献
放射線法疫学も,疫学の一般論を基本としているので,勉強に必要な参考文献は,「法疫学講座第01回≪はじめに,本講座の目的,参考文献について≫」https://hoshasendokufire.jp/epidemiology/000103/に挙げたものです。そして放射線に関する文献としては以下を挙げることができます。
A. 放射線
⑴ 「人間と放射線 医療用X線から原発まで」(ジョン・W・ゴフマン著.明石書店)([ゴフマン])
核物理学と医学のそれぞれで博士号を持ち放射線影響の疫学的研究でも有名なゴフマン博士による著作で,人間の健康におよぼす放射線影響について書かれています。主に京都大学原子炉実験所のメンバーらによって翻訳されています。一般の市民が被ばくによる健康影響に関する医学的確率を自ら計算できるようにすることが本書の目的で,放射線のエネルギー,放射性崩壊,線量という放射線の基礎的な説明から始まり,DNA,染色体,細胞の放射線損傷等の腫瘍に関する基礎的説明を経て,ガンの疫学的研究そして各ガンのガン線量の説明にまでカバーしています。私は,10年前,出勤する前の2時間を本書の勉強にあてて,3ケ月かけて初めから最後まで舐めるようにして読破しました。そして著者の幅広い学識に支えられた詳細かつ分かりやすい説明に魅了され,ショックを受け,自らも法疫学・法毒性学・放射線・医療と放射線を専門領域とする法律実務家を目指すべく,放射線取扱主任者の勉強を始めることを決心するに至った思い出深い本です。この本の読了後,放射線取扱主任者試験のための準備として読み始めたのが,次の「放射線概論」です。
⑵ 「放射線概論 13版」(通商産業研究社)([放射線概論])
放射線取扱主任者第1種試験は,放射線物理学,放射線化学,放射線生物学,実務(測定,管理),法令の各科目でなされますが,その全ての科目を網羅している教科書です。RI法は,放射線の許可届出使用者等が,放射線障害の防止について監督を行わせるため、原則として放射線取扱主任者試験に合格した者の中から放射線取扱主任者を選任しなければならないとしているのですが,その受験用テキストとして編集された本であり,放射線の取扱い実務について最低限必要な内容が盛り込まれています。なので,放射線関係の科学的知見,測定,管理,法令に関する必要最小限の知識を得るための標準を知るための本として考えてください。逆に言えば,この程度の知識もなくして放射線を語るなかれということになります。私は,仕事をしながらの勉強で2種に合格し,その次に1種に合格しました。合格して思うことは,合格前は本当に何もわからないまま裁判をしてきたなということです。
⑶ 「現代人のための放射線生物学」(小松賢志.京都大学学術出版会)
⑷ 「Q&A放射線物理改訂2版」(大塚徳勝外.共立出版)
⑶⑷ともに放射線疫学を勉強する際の基本的知識を提供しています。⑶は,分子生物学の講義に不可欠な図式による説明が豊富で大変に分かり易く,⑷は,抽象的議論になりやすい放射線物理について分かり易く説明されています。両方とも,上記⑵と併せて読むことで,放射線取扱主任者第1種試験をクリアできたと思います。
⑸ 「物理」「化学」「生物」の高校教科書
⑹ ICRPの「Publication99.放射線関連がんリスクの低線量への外挿」([99報告])
⑺ 同「Publication103.2007年勧告」([2007年勧告])等々
ICRPの各公刊物は,広島の放影研の疫学的知見を基にして作成されており,信頼に値するものであり,放射線に関する事件の際の標準的な考え方を知るためにも有用です。ICRPというだけで,はなから信用しない団体等もあるようですが,何も知ろうとしないで批判の対象とする態度は,単なる先入観・偏見でしかないと思います。
⑻ 「原子力災害に学ぶ放射線の健康影響とその対策」(長瀧重信著)([長瀧])
長瀧先生がチェルノブイリ事故など関わった原子力事故の健康影響という観点からの報告で,大変に貴重な情報を多数知ることができます。
⑼ 「原爆放射線の人体影響 改訂第2版」(放射線被曝者医療国際協力推進協議会編)
被ばく者医療の解説書であり,原爆放射線の後影響としての発がんに関する放射線疫学の知見は必読である。
⑽ 「低線量放射線リスクの科学的基盤-現状と課題-」(平成16年3月 低線量放射線影響分科会)
本報告書を作成した「低線量放射線影響分科会」は、原子力規制委員会の前身である原子力安全委員会 の「放射線障害防止基本専門部会」に設置された分科会である。「平成13年8月、原子力利用に伴う障害防止の基本に関する事項等について調査審議する放射線障害防止基本専門部会(平成12年9月設置)に低線量放射線影響分科会が設置され、低線量放射線の生物影響に関する研究成果の現状と今後取り組むべき研究課題等について調査審議して来た。本報告書は,これまでの低線量放射線リスクとして発がんを考察の対象とし,γ線等の低LET(Linear Energy Transfer, 線エネルギー付与)の放射線による影響を主に取り上げた。」(1頁)とある。https://www.iwanami.co.jp/kagaku/siryo2.pdf
⑾ 「原爆被爆者の死亡率調査 第13報固形がんおよびがん以外の疾患による死亡率:1950‐1997年」(LSS13)
⑿ 「原爆被爆者の死亡率に関する研究 第14 報1950~2003 年:がんおよびがん以外の疾患」(LSS14)
放射線影響研究所による死亡率調査であり,放射線法疫学で書面を作成する際の必読文献であることは誰しもご存知でしょう。
B.スクリーニング
放射線被ばくによって疾病に罹患したという主張をする際に出て来る反論として,検診によるスクリーニング効果論があります。スクリーニングに関する基本的な文献を以下に挙げます。
⒀ 「がん検診判断学」(久道茂)
がん検診について,基礎的前提知識を学ぶことができる。
⒁ 「スクリーニング」(Angela Raffle et al.: Screening Evidence and Practiceの日本語翻訳)([スクリーニング])
スクリーニングについての標準的な教科書である,福島の甲状腺がんについて議論する前提知識を得ることができます。特に,第4章のスクリーニング評価に関するバイアスに関する説明は詳細であり,日本の神経芽細胞腫のスクリーニングが中止になった経緯等についても触れています。
⒂ 「過剰診断」(H・ギルバート・ウェルチ et al.:Overdiagnosedの日本語翻訳)([ウェルチ])
過剰診断の問題の第一人者,ウェルチ博士によるスクリーニングに関する一般向けの書籍であり,学術論文では触れられない問題特にスクリーニングの中止がなぜ難しいのか等,スクリーニングにともなう利権構造まで踏み込んだ画期的な本です。
⒃ 「福島の甲状腺検査と過剰診断」(高野徹,緑川早苗 et al.著)([高野等])
福島の甲状腺がんの多発という状況が過剰診断であることを詳細に訴える内容で,過剰診断という問題が疫学的思考が試される比較的新しい分野であることを理解できます。
⒄ 「みちしるべ」(POFF,大津留晶,緑川早苗)([みちしるべ])
副題として「福島県『甲状腺検査』の疑問と不安に応えるために」とあるとおり,2011年東京電力福島第1原発事故によって始まった甲状腺検査で,若い人に甲状腺がんが数多く見つかっていることから生じる疑問や心配や懸念について,同検査の対象者や家族のみならず福島の甲状腺検査とは無関係な方でも,甲状腺検査について「『自分のものさし』を持って考えることができるようになるため」に,過剰診断に焦点をあてて科学的に記した本です。したがって,甲状腺がんスクリーニング,過剰診断バイアス,放射線被ばくと甲状腺がんの因果関係等の疫学的議論のみならず,甲状腺検査の心理的・社会的影響にまで及ぶ重要な論点がほとんど論じられており,福島の甲状腺がんについてどのような立場に立とうとも福島の甲状腺がんの過剰診断について勉強したい人には必読です。ただ,本書はその重要性にもかかわらず,アマゾン等のネットでの購入は難しく,私は福島市の岩瀬書店(福島駅西口店024-526-2610)に取り寄せてもらい直接購入しました。同書店は購入者に送付もしてくれるそうです。
⒅ 裁判例
原爆症認定訴訟にいて示された裁判例や,放射線を取扱う事業所における業務上放射線被ばくによる健康障害を理由とする労災関係の裁判例も参考になります(労災関係については「放射線被ばくによる健康障害と低線量被ばくにおける放射線起因性の立証」(山嵜進著)「第5」(「法と実務vol.12」561頁~)が詳しい。)。
⒆ 「放射線による健康影響等に関する統一的な基礎資料」
環境省のサイトに掲載されている上記のタイトルどおりの基礎資料です。簡単に知りたい場合には非常に有用です。
https://www.env.go.jp/chemi/rhm/r3kisoshiryo/r3kisoshiryohtml.html
3 予定
本講座では,原爆症認定訴訟の高裁判決を題材として放射線被ばくと疾病の因果関係(放射線起因性)の原則的な判断手法を論じた上で,低線量被ばく(実効線量100ミリシーベルト/年以下)と特に「100ミリシーベルト論」(法的因果関係を否定する考え方)過剰診断論についても検討する予定です。
なお,本講座では,ある程度放射線に関する基礎的な知識を有している方を対象としているので,基礎的知識に関する説明はその都度行うことはしませんが,上記⒆等の資料の該当箇所を示すなどして基礎的知識の勉強も同時にできるように配慮する予定です。
以上