コラム

2023.12.21

【放射線法疫学講座】第07回≪【連名意見書】の小児甲状腺がんと交絡(疫学的検討⑴)≫

弁護士 崔 信義(さいのぶよし/崔信義法律事務所)Ph.D.

□博士(法学)

□放射線取扱主任者(第1種免状,第2種免状)

□毒物劇物取扱責任者(一般)

□火薬類取扱保安責任者(甲種免状)

□エックス線作業主任者免許

□ガンマ線透過写真撮影作業主任者免許


参考文献

【〇〇〇〇】は本文中の表示

・「意見書」(平成28年10月26日)佐々木康人外?/【連名意見書】

・「低線量放射線リスクの科学的基盤―現状と課題―」/【報告書】

・「国際放射線防護委員会の1990年勧告」/【1990年勧告】

・「放射線関連がんリスクの低線量への外挿」(ICRP, Publication99)/【99報告】

・「国際放射線防護委員会の2007年勧告」(ICRP, Publication103)/【2007年勧告】

・「原爆被爆者の死亡率に関する研究 第14 報1950~2003 年:がんおよびがん以外の疾患」/【LSS14】

・「統計学入門」(東京大学教養学部統計学教室編)抜粋/【統計学入門】

・「児玉和紀の証人調書」/【児玉調書】


本稿は,【連名意見書】に対する疫学的な観点からの批判的検討である.

1  【連名意見書】の見解

⑴  本稿は,福島原発事故関係の訴訟で被告側(国,福島県や東京電力等)から提出されている所謂【連名意見書】の以下の記述に対して疫学的観点から批判的に検討したものである.

① 【連名意見書】P6・L7~

「およそ100ミリシーベルト以下の低線量被ばくの健康影響としては確率的影響、特に発がんリスクの増加が問題となる。現時点で の国際的なコンセンサスは、100ミリシーベルト以下の低線量域においては疫学データの不確かさが大きく、放射線によるリスクがあるとしても、放射線以外のリスクの影響に紛れてしまうほど小さいため、統計的に有意な発がん又はがん死亡リスクの増加を認めることができない、というものである」

② 【連名意見書】P6・L12~

「100ミリシーベルトの放射線被ぼくによる発がんリスクは、運動不足や野菜不足のリスクより低く、受動喫煙と同等のレベルに相当するという国立がん研究センターによる試算がある。100ミリシーベルト以下の放射線の健康影響はあるとしても小さく、放射線以外の発がんリスク(喫煙や肥満、運動不足、野菜不足等の交絡因子)の地城差など(約10%のばらつき)に紛れてしまつて、疫学的調査による検出が実際上困難である。」

⑵  上記【連名意見書】の記述の趣旨

【連名意見書】は,「福島県で小児甲状腺がんの多発が認められるのは放射線被ばくが原因である」という崎山意見書に対する反論として提出されているので(P1の4)),【連名意見書】で「100ミリシーベルト以下の放射線の健康影響」として想定されているのは小児甲状腺がんである.つまり,小児甲状腺がんにおいては,「喫煙や肥満、運動不足、野菜不足等」が交絡因子であるから,100ミリシーベルト以下の放射線の健康影響である小児甲状腺がんのリスクを疫学的調査によって検出することは実際上困難だという意味である.

そこで,ここで問題は,小児甲状腺がんにおいて,果たして「喫煙・・・」が交絡因子なのかどうかである.交絡因子でないのであれば,喫煙のリスクに紛れてしまって甲状腺がんに対する低線量放射線被ばくの健康影響の疫学調査が困難だという論理は成り立たない.そこで甲状腺がんにおいて,果たして「喫煙・・・」が交絡因子なのかという点を検討する必要がある.

2  交絡とは何か

⑴  交絡因子(交絡要因)とは

*交絡因子と交絡要因とは同じであるが,ここでは用語を統一して「交絡要因」ということにする.

「疫学 新型コロナ論文で学ぶ基礎と応用」(坪野吉孝著)(以下[坪野])によると,「交絡はバイアスの一種で,曝露要因と健康アウトカムとの関連性が,両者と相関する第3の要因(交絡要因)の影響によって偏り,過大評価や過小評価が生ずる現象をいう.交絡要因は,曝露要因や健康アウトカムの双方に「交わり」「絡む」ことで,両者の真の関連を偏らせる,というニュアンスがある.たとえば,飲酒で肺がんリスクが上昇することは確立した知見ではないが,飲酒者と非飲酒者で肺がん発生率を比べると,飲酒者の発生率のほうが高い結果になることが通常である.これは,飲酒者は非飲酒者よりも喫煙者の割合が多く(飲酒喫煙の相関),しかも喫煙は肺がんリスクを上昇させることが確立した要因のためである(喫煙による肺がんリスクの上昇).この場合,飲酒という「曝露要因」と,肺がん発生率という「健康アウトカム」との関連性が,喫煙という「交絡要因」の影響で実際以上に過大評価されていることになる.」と説明されている(同書28頁).

[坪野]28頁「図表7-1交絡要因」参照

https://hoshasendokufire.jp/wp-content/uploads/2023/12/坪野教科書28頁交絡.pdf

⑵  喫煙は小児甲状腺がんの交絡因子か?

【連名意見書】が「100ミリシーベルト以下の放射線の健康影響は、放射線以外の発がんリスク(喫煙や肥満、運動不足、野菜不足等の交絡因子)に紛れてしまい,疫学的調査による検出が実際上困難」だという意味を疫学的に上記[坪野]の記述に沿って説明すると,次のようになる.

[坪野]の記述の「飲酒」が【連名意見書】中の「100ミリシーベルト以下の放射線被ばく」,[坪野]の「肺がん」が【連名意見書】中の「小児甲状腺がん」,[坪野]の「喫煙」が【連名意見書】中の「喫煙」となるから,【連名意見書】においては,次のような記述になる.曝露要因である「100ミリシーベルト以下の放射線被ばく」と健康アウトカムである「小児甲状腺がん」との関連性が,両者と相関する第3の要因(交絡要因)「喫煙」の影響によって偏り,過大評価(過小評価はない)が生じているというのが【連名意見書】の見解の意味となる.

[坪野]の例では,肺がんに対する関係で喫煙を第3の要因(交絡要因)として挙げているが,交絡要因とは,[坪野]28頁「図表7-1交絡要因」からも分かるように,「飲酒者は非飲酒者よりも喫煙者の割合が多く(飲酒と喫煙の相関),しかも喫煙は肺がんリスクを上昇させることが確立した要因となっていることが必要である(喫煙による肺がんリスクの上昇)」.

そこで小児甲状腺がんの場合で考えると,「放射線被ばくと喫煙の相関」があるか,「喫煙による小児甲状腺がんのリスクの上昇」という関係にあるかどうかを検討しなければならない.

[坪野]は,「飲酒と喫煙の相関」は,「飲酒者は非飲酒者よりも喫煙者の割合が多く」ある場合に生じると説明されている.小児甲状腺がんの場合にそのように言えるか?つまり福島の放射線被ばく者には,被ばく者以外よりも喫煙の割合が多いと言えるかという問題である.この問題は,小児甲状腺がんとの関係で論じられているから,ここでは放射線被ばく者とは子どもが想定されている.しかし,放射線被ばく者であるかどうかにかかわらず,日本において,子どもが喫煙をすることを想定することは無理があるといえるので,福島の放射線被ばく者においては,被ばく者以外よりも喫煙の割合が多いとは言えないと考えられる.

⑸  「運動不足、野菜不足等」は小児甲状腺がんの交絡因子か?

【連名意見書】が,運動不足,野菜不足が交絡要因であるということは,既に上記喫煙の場合で論じたとおり,放射線被ばく者においては被ばく者以外よりも「運動不足、野菜不足等」の割合が多く,それらの不足によって,放射線被ばく者らと小児甲状腺がんとの相関関係が過剰評価(過小評価はないと)されているということを意味している.

しかし,放射線被ばく者においては被ばく者以外よりも「運動不足、野菜不足等」の割合が多いというのは想定できず無理ではないか.したがって,「運動不足、野菜不足等」が交絡要因であるということはできない.

⑹  交絡要因に関する【連名意見書】の記述は間違いである

以上から,【連名意見書】が挙げている「喫煙や肥満、運動不足、野菜不足等」は小児甲状腺がんの交絡因子とは言えないから,「100ミリシーベルト以下の放射線の健康影響は、放射線以外の発がんリスク(喫煙や肥満、運動不足、野菜不足等の交絡因子)に紛れて」しまうという記述は,間違いである.

したがって,「100ミリシーベルト以下の低線量域では、非被爆者群との間に統計学的に有意差が認められず、がんの増加は証明されていない。」(連名意見書P4・↑L5)と結論づけることもできないのである.

以上